2011年4月30日土曜日

庭の花-2

 
 
あまりにも申し訳がないので、改めて、キッチリと画像処理を致しましたので--------。

庭の花

 
 
 いつもながら、 気にも留めず眺めている我が家の庭ですが、よくよく眺めてみると、まあ〜花盛りですね。
 ---------これって、初めて気がついたような気がしますなあ〜。今迄全く目に入らなかった次第。

  --------- ホント、これじゃ、バカみたいな私の審美眼でしょうなあ〜〜 オロンオロン(涙)!。

散歩道から 04-30-2

  

 

 

 
 花に詳しい方々には、いずれも馴染みの花々なのでしょうね。

散歩道から 04-30-1

 

 

 

 
 いつもの通り、説明はナシです。

地震がありました。

 
14時過ぎ、グラリと来ました。
いつもの通りの揺れでオワリましたが、この “ いつものように ”-----との慣れが怖いとも思うのですが。

クルトウエス

 
 
 この指揮者も山形に来られましたが、抜きん出て背が高かった-------憶えているのは、そんなところ。
 ---------- あとは、すっかり忘れました(涙!)。

近衛秀麿 山田一男

このお二方が山形に来られたのは、これも戦後それ程経てからではなかったような気がしますね。勿論、両方がおいでになったと云っても同時ではありませんよ。
 いずれにしても私の中学時代(併設中学)ではなかったかなあ〜〜。

   
 この方が演奏された曲の最後は「運命」でしたね。
 ともあれ、そのは、まるでピストンの如く両手を前後に動かしての指揮でした。

    
 山田一男氏の指揮は近衛氏とは違って、扇の舞の如く空間を左から右へと大きく弧を描くが如く---------と、そんな感じでしたね。

 こちらの最後の曲は「悲愴」だっただけに、余計その動きはピッタシの感がしましたよ。

木下保 がやって来た

 

 木下保が山形市にやって来たのはいつ頃だったか、それは終戦後、それ程経っていない頃だったような気もしますが?。会場と云っても当時は公会堂があったわけではなし、近くの小学校の講堂を借りての事でした。当時は催しモノとなると、中身が何であれ、とにかく、何でもかんでも満員になった時代で、集まったのは若い者に限らず、ばあちゃん ぢいちゃん から赤ん坊迄、あらゆる住民が入っていたような気もしますが?。

 ただ、出演者の歌手は、当時とは申せ、載せた写真とは違って、かなりお年を召された方だったような気もしますね。

 木下 保(きのした たもつ、1903年10月14日 - 1982年11月11日)は、日本声楽家テノール)、指揮者

 兵庫県豊岡市出身。1926年東京音楽学校本科を卒業。1931年にレコードデビュー。1932年から1935年までドイツとイタリアに留学する。帰国後、「木下保リサイタル」として、毎年、ドイツ歌曲を作曲家単位で紹介するという、それまでにない破格の演奏会を行い、戦時中は山田耕筰、信時潔などの作品を一晩集中して歌うという演奏会を行っている。東京音楽学校の声楽科主任教授という立場があってこそできたものではあったが、この時期に日本人作曲家の歌曲のみでリサイタルを開くのは画期的なことであった。立場柄、若干の軍歌の録音があり、千葉静子と「サイパン殉国の歌」などを吹き込んでいる。また、1937年より日本に定住したピアニスト・指揮者、レオニード・クロイツァーと録音したシューマン「詩人の恋」は名盤として知られる。ベートーヴェン「第九」は、学生時代に東京音楽学校定期演奏会での公式初演で合唱団メンバーとして参加し、新響(現「NHK交響楽団」の前身)による初演奏でソリストを務めたのを皮切りに、戦前の主だった演奏で常にソリストとして名前が記されている。

辻音楽師 Der Leiermann-3

 
 

 シューベルトとなると、この方の存在が浮かび上がりますね。
 身体不自由の身でありながら、その歌唱力は抜群で、なおかつ この「冬の旅」「辻音楽士」ともなればダントツではありませんか。
 URLは下記です。どうぞ一度開いてお聴きになってみて下さい

 http://www.youtube.com/watch?v=7VJ4ACx3its

辻音楽師 Der Leiermann-3

 

 

 
  これは手持ちのCDのジャケット。

  辻音楽師 Der Leiermann(シューベルト「冬の旅」より)~

「冬の旅」は、恋にやぶれさすらいの孤独な長い旅を続けてきた男のモノローグで綴られていきます。その最後に歌われるこの歌は、見るも哀れな手琴弾きの描写に始まり、誰も振り向かない中で黙々と手琴を弾き続けるこの老人に向かってこの男が語りかけるところで終っています。「風変りな手琴弾きのおやじさん、あんたと一緒に歩いてもいいか?・・・」孤独な手琴弾き、すべてをなりゆきに任せ黙々と手琴を回す老人の姿に、この男は自分の境遇と重ね合わせ、やっと自分の居場所を見つけたのでしょう。人はひとりでは生きていけない。誰かと共に手を携えて歩いて行く。そして自分に与えられた道を黙々と歩いて行く。絶望の淵から希望の光へ・・・。

 ------------- 以上、検索から。

 機会があったら是非お聴きになってみて下さい。

辻音楽師 Der Leiermann-2

 

 

 
 いずれもが 検索からの、 ライエルマン の画像です。

辻音楽師 Der Leiermann-1

  

 

 

 
  辻音楽師 ライエルマン

2011年4月29日金曜日

散歩道から 04-29-2

 
 何度か取り上げた “ 物凄い木 ” です。幹の捻れがモノスゴイのですよ!。
 ただ、その物凄い木にも、このような花が咲くとは、知っていたような知らなかったような、はっきりしない記憶だけですね。

 
 この上の坊主、絶体絶命!ですよ!--------。

散歩道から 04-29-1

 
 「まる」が ここにオシッコをするのは稀ではありませんが、何気なく傍を見ると、雜草の繁茂が只ならぬ大きさに思えましたね。毎年こうなのだろうとは思うものの、改めて その繁茂の様子に驚きましたなあ〜〜。

 
 緑一杯の視野の中に、このように赤い花が咲いていると目立ちますね。勿論、この花達も、それを狙ってのシーズンなのでしょうが、只、それを求めて集まって来る筈の昆虫は一匹も見当たりませんでしたが-------?。

 
 これは野草ではなく人間が植えた菜の花でしょうね。
 まあ〜栽培された花となると、それだけ必要な花なのでしょう。
 ただ、どのような必要性があるのか-----とかなると、 これまた見当がつきませんが。

 ---------- 花オンチでご免なさい。

あふるる涙(溢るる涙)

 

 

シューベルト「冬の旅」から「溢れる涙」

 これは、これ迄も何度か取り上げましたが、本日も検索から お借りして しばし聞き惚れていました。本日お借りしたのは下記のURL様から。

  出て来る絵もステキでしたね。
 http://blogs.yahoo.co.jp/kiyoi08/20036575.html

沈没する日本船

 
 
 アメリカ潜水艦「ワフー」が1943年(昭和18年)3月21日、黄海で日本貨物船「日通丸」(2.183トン)を魚雷攻撃により撃沈した光景----同潜水艦はこの戦闘哨戒中に日本船舶を合計8隻撃沈した。この写真は艦長D.W.モートン海軍少佐の撮影による。(検索より)
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 これでは、乗っていた 日本人、日本兵 共々、たまりませんなあ〜〜奈落の底へまっしぐら-----ですから。
 乗組員の心境は計り知れない恐怖に襲われたでしょうなあ〜。
 いずれにせよ、もうダメだと思ってからの時間が長過ぎる------との事に加えて、その船の奈落の底に、あらゆるモノが落ち込んで来て、それによる 打撲 圧迫、加えて息が出来ない苦悩、それも真っ暗の中、やがて、底が抜けて、物凄い圧のかかった海水がハガネの如く突き上げて来た-------- まあ〜まあ〜〜戦争は真っ平ですなあ〜。
 とにかく助けてくれる同胞は皆無な処で、時間をかけて確実に死んでいくわけですから。

2011年4月28日木曜日

散歩道から 04-28-2

 
 さながら夜の景色のようで-------これでは、ちょっと、コントラスを強くし過ぎた感じかな-------それにしても、背後の黒雲をバックにして、西陽(にしび)を浴びた白色の給水塔------となると、あながち これでムリがあるとも言い切れないサマでしたが。
 とにかく、途方もなく?くっきりと浮かび上がっていましたね。

 
 これも、空の黒雲のもと、陽の光を浴びた近所の景色ですが、これにしても、かなりダイナミックに映じた------との印象を持ちましたよ。

散歩道から 04-28-1

 
 いつも このへんで-----ション!!。

 
 こちら様の花壇、これ迄も何度か写させて頂いた感じがするナア〜〜。

 
 一天俄にかき曇り-----但し、肉眼では、これ程のコンストラストは感じないのに、写真では、かなりオーバーに写る--------と云う事でしょうか。

 ラチュードの問題かもね。

にゃんこ

 かっての我が家に猫が一匹いましたね。
 名前は別になく「にゃんこ」で通していました。

 
 これは マチス の絵ではありませんヨ。我が家の、かっての「にゃんこ」。

 
 その 「にゃんこ 」
 年並が過ぎて、サヨナラしたのは、いつだったか。

 このスケッチは当然ながら私、名画ですよネ?。

 
 調布にあった?ペット専用の火葬場。当然ながら墓地もあり「にゃんこ」は、今に至るも安らかに眠り続けていると思いますよ。

 写っているのは、もう、とっくに嫁に行った上の孫娘。

糞坊主 尊師

 
 
 乞食と気狂いの糞坊主達
 ※ 禅僧には自らをかえりみず一切を投出し修行に励んだ人物が多い。
 それだけ、世俗の者には、奇行奇人と目に写ったようだ。

 法衣を纏って多数の僧侶の上に君臨する現代の高僧も確かにエラいのだろうが、本当の高僧とは、このページの僧達と思う。
 失礼な文字が並んでいますが、そのいずれもが尊師です。

◉臨済禅師「臨済図」 曽我蛇足 筆 真珠庵蔵(重文)
 臨済禅師が一喝すると、相手は三日間 その声の大きさのため耳は聞こえなくなったと云う。
◉「一休」 東京国立博物館藏 一休の父は後小松天皇 母は藤氏の流れとの事。
◉「寒山図」伝顔輝 筆 東京国立博物館蔵
 「寒山拾得図」は禅林で好んで描かれた画題
◉「大燈国師乞食像」
 法衣を纏って多数の僧侶の上に君臨する現代の高僧も確かに偉いのだろうが、本来の高僧とは、このページの僧達だと思う。
◉「良寛」宮川禄済 画 良寛記念館蔵
 良寛のキライなもの、それは--- “ 詩人の詩、書家の書、料理人の料理 ” とある。
◉「◯△口」仙崖 筆

窓からの眺め 今昔

 
 2011年4月28日、 本日の、窓からの眺め。

 
 2009年8月12日の、窓からの眺め です。
 それ程に昔と呼べるような過去でもないので、大差は見られませんが、それでも空き地の箇所だけは完全に変わってしまっていますね。

 それ以前のは消去した筈で、残念ながら完全不明------。

2011年4月27日水曜日

散歩道から 04-27

 
 
 散歩道からですが、車庫が そのまま花の住処?になっている風情ですね。
 この私も、クルマを辞めて どのくらいになるのか、その間 後悔した事はホント全くありませんね。
 会社勤務の時代はさておいて、引退したとなると、乗るべき必要は皆無でした。
 免許証も返上して、専ら自分の足が頼りの人生が続いていますよ。

 とにかく人間 歩かないとダメですね。
 クルマの代わりに 専ら歩け歩けの毎日が続いているのが実情です。

 我が家の、かっての車庫?も、現在は 載せたような姿に近い(これ程ではありませんが)風情を保っていますよ。

フジコ ヘミング

 
 
 フジ子・ヘミング1932年12月5日 - )、本名イングリッド・フジコ・フォン・ゲオルギー=ヘミング(Ingrid Fuzjko Von Georgii-Hemming)は、日本で活躍するピアニストである。日本名は大月 フジ(おおつき フジ)。
 ロシア系スウェーデン人の画家・建築家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミング(Josta Georgii Hemming)と、日本人ピアニストの大月投網子の間にベルリンで生まれる。
 スウェーデン国籍(長らく無国籍の状態が続いた)[1]。俳優の大月ウルフは実弟。
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 異色のピアニストとして、ここに取り上げたもの。

フジコ ヘミング〜ノクターン(遺作)2

 

 
 彼女の風貌からは ちょっと想像がつきませんが、繊細な人柄がわかりますね。

フジコ ヘミング〜ノクターン(遺作)

 

 
 フジコ ヘミングが弾くショパン ノクターン(遺作)YOU TUBE からですが、ピアノの音色も さる事ながら------
 これらの稚拙?な彼女の絵がいいですね。