2011年9月30日金曜日

散歩道から 09-30

 
 
 夜の散歩道からですが、上のように、光量のある対象物はキチンと写るのですが、暗い所では、暗いなりに写ればいいものを、下のように、どうしても手ブレが出るケースが多く、なかなか うまくいきませんね。

 

日欧の違い

 

 
 日欧の、同じ人物像を見ても、一般的に、どうして、こうも違うのでしょうかね。
 曰く因縁、いろいろあるのだと思うのですが、同じ日本人としては、下の像に軍配を上げますね。とにかくムズカシイ事はヌキにして そう思いますよ。

 あちらが 絢爛豪華とは申せ、ゴチャゴチャなのに反し、こちらは シンプル(淡白) イズ ベスト、ですよ。

「一本のたばこ」

 
 
 昭和14年発行の「講談社の絵本」から「教訓 絵ばなし」。
 読んでみると、いかにも とってつけた?ようなハナシです。
 ------ それで、お礼に、タバコ3万本、送るものでしょうかねえ〜。
 ともあれ、その頃の本の中身となると、いずれもが同じような----タメになるハナシ で溢れ返っていたような記憶がありますね。

2011年9月29日木曜日

夜に

  用件があって8時過ぎの頃ちょっと出向いて来ました。

  下記は、その時の写真。
 
 交差点での、単なる青信号ですが、画面では、他の比較するモノが写らないので、ちょっとそうは見えませんね
 天の星も、かくのごとく見えたら面白かろう、と、そんな思いで写しただけのモノ。

 
 単なる 南側向こうの景色ですが、夜空の真ん中の上の、ちょっと右のあたり、白く写っている点像、推測では 土星だと思ってシャッターを切ったのですが、違うかな?。

散歩道から 09-29-2

 

 

 
  秋の空 3枚、でした。

シューベルト歌曲


  シューベルトの歌曲

 
 「冬の旅」

 
 「白鳥の歌」

 両者共々 歌手はヘルマンプライ。

 ただ「冬の旅」の方は耳が擦り切れる程?聴いているのに「白鳥の歌」となるとサッパリなので、まあ〜それも申し訳なかろうと思い、何十年ぶり??で聴いてみたものの、やっぱりイマイチで終わりました。

 セレナード、影法師、これらが知っている曲でしたが、あとはダメでしたね。

ベートーベンV協奏曲

 
 
 この名曲、ベートーベン「バイオリン協奏曲」、目下、CDで聴いているところですが、この曲となると、前置き?、つまりオーケストラの序奏が長過ぎるのですよ。

 かって、誰のだったか、実演を聴いた事があったのですが、独演者は、とにかく その序奏が終わる迄 まあ〜天井に目を向けたり、足下を見たりして、その姿を見ては申し訳ないくらいでしたな。

 改めて、CDを よく聴いていたら、約3分くらいがそれでしたね。たかが3分と云っても、その場となると、結構長い時間ですよ!〜。

 と云っても、CDでは、それが判らないので、どうでもいい事になりますが、実演ではそういきませんね。御同情の極みでした。

 因に、このCDは、カラヤンとムターですから、まあ申し分ない組み合わせでしょう。

散歩道から 09-29

 

 
 これは昨夜の散歩からですが、前にも載せたと思うのですが、デジカメでは、ともあれ 夜間であっても写る--------と、これに最敬礼するのですよ。

 勿論、何の操作変更もせずに、パチリでOK、これが驚きですよなあ〜〜。

 加えて、これが室内などで------となると、これまた パチリで そのままライトが発光するので ちゃんと写りますよね。
 昔のフイルム式カメラでは全く考えにも及びませんでした。

特攻隊

 

 

 

 
 特攻隊、と云っても突然このような写真を載せて、あれこれ申す事は無いとしても、最近は何かにと、そんな写真を急に思い出す事があるのですよ。
 勿論 年齢からして、私共は、その年代に達してはいなかったわけですから、何等問題は生じないのですが、人間誰でも生きザマもさることながら、
その死にザマ?も問われるや否や、そんな事が気になる年代に達していると云う事でしょうか〜?。

2011年9月28日水曜日

散歩道から 09-28

  

 

 
 今日のカメラの写り具合のいい事よ〜。
 細かい箇所までドンピシャ!に写っていますね。
 とにかく空気が澄んでいた証拠でしょう〜〜。

特攻隊の写真-2

 後年調べた範囲では、各人共々、特攻として攻撃に向かい その全員が戦死した、との事でしたね。

特攻隊の写真

 
 前にも載せた記憶がありますが、こんな時代もありましたねえ〜。
 -----------云っても、その当時は、その年齢には達していませんでしたが。

 ただ、そうだったとしても、このような写真を改めて見ると、胸 塞がる思いがするのですよ。

 私もトシをとった証拠なんでしょうかねえ〜。

 ---------- 御同輩の諸君、いかがなもんでしょうか?。

日本列島の写真

 
 
 検索からの日本列島の写真ですが、 人工衛星からであれ、このように写るものなのか、それが不思議だと思ったのですが?---------単純に、合成写真だと云われれば、それなりの納得も得られるものの、それにしてもムリがある筈---------どんなカメラで、どうやって写したのでしょうかな。

 大体、陸地、海洋、共々に、雲一つありませんからね。

 -------それとも、いろいろと複雑に貼り合わせてて完成させた 絵 ?〜〜。

秋日和

  
 秋の日和の中、二階のベランダで日向ボッコをしている至福の「まる」〜。
 ---------- それにしても、ちょっと暑過ぎたのか、間もなく下りて来て、目下、畳の上で伸びています。

 

2011年9月27日火曜日

「法隆寺の謎」

 
 
 その昔 “ 法隆寺の謎「隠された十字架」” とのタイトルで出された本がありました。著者は 哲学者 梅原猛。
 ベストセラーになった本ではなかったですか?。

 こちらは、法隆寺と云ってもズブの素人ですから、それだけに その本で すっかり洗脳?されてしまい、なんと、その本を抱えて、法隆寺迄出向いてみましたよ。

 然し、その目でみると、確かに各所で、その謎に巡り会う事で、それはそれなりに納得しましたね。
 その謎とは如何なるモノか?----------それを絵図にして纏めてみたのが載せた一冊でした。

 本の著者に対して、別段反論が出されたとも聞いていないので、謎は謎として、それなりに現在に至るも 罷り通っているのではないかとも思うのですが?。

散歩道から 09-27−2

 

 

 
 --------- こちらは空の雲とは関係のない いつもの地上での何枚か。

今日の空

 
 
 

 
 空の雲が一直線で天空を横切っていたので、何枚かに分けて、載せてみたのですが、それでもムリのようで、途中の一枚をカット--------。

 それでも、それなりの雰囲気を感じて下されば、とも思いアップしてみました。

天皇マ元帥訪問写真

 

 

 
 米軍進駐すぐの、天皇とマッカーサーの写真、よく見た写真かと思いますが、何枚くらい写して、何枚くらい発表されるのか、いずれも同じ写真かと思えるのに注意して見ると細部では結構違っている写真なのですよ。

 天皇の足の開き。御両人の背後の影〜〜〜その他、目をこらして見据えると、もっと出て来るようですが〜。

 -------だから、どうだ、と云われてみても、別に何も申し上げる事もありませんが-------。

散歩道から 09-27

 

 
 このへんは、道路沿いには家々が並んでいるにせよ、一歩奥に入ると、この通りの景色が多いようです。
 ここでは、いろんな果実樹のようですが、単なる雑木林の方が多いでしょうか。
 とは申せ、それがステキだとも思いますよ。住宅街と自然との共棲とも受け取っていいでしょうし〜。
 又、これらによって、各家屋の、いろんな意味での安全性もキープされているのだとも思っている次第。

2011年9月26日月曜日

散歩道から 09-26

 
 
 向こうの光は、こちらへ来るクルマのヘッドライト。

 
 日没の頃〜。

庭の木蓮

 
 この木蓮も、さすが こうなると切り倒した方がよういのではないか、とも思うのですが、どうしても、その気になれないのもホントのところ-------。

太陽光

 

 
 こんな光景を見ると、太陽光の威光?を 改めて見る思いがするものです。

2011年9月25日日曜日

昔の童謡集から

 
 
 昭和12年刊の童謡集(復刻版)からですが、歌の方は さておいて、当時の子供等の大半が着物姿、これが懐かしいですね。私の場合も 東北地方なわけですから、勿論そうでした。

 但し、さすが学校へは児童服姿でしたが、中には着物姿も まだ いましたよ。

ダニエル カール

 

 日本で活動するドイツ系アメリカ人である。英語指導主事助手や英語指導主事を経て、翻訳家として活動する。

 さらに会社経営を手がけるなど実業家としての顔も持ち、のちにタレントとしても活動するようになった。

 また、「山形弁研究家」という肩書きも名乗っており、流暢な山形弁を話すアメリカ人として人気を集めている。

 アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。星座はおひつじ座、血液型はB

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 山形弁で話す------これが人気でしたね。
 山形弁については正統派?である私ですら最敬礼!した程の達者な山形弁でした。
 現在も元気なのでしょうね。
 ---------載せたのはYouTubeより。

対米感情の推移

 
 
 1 青い目をしたお人形は、
   アメリカ生まれのセルロイド--------。
   アメリカは夢とロマンの国。
   お月さまより遠い国であった。

 2 鬼畜米英!
   アメリカ人は、鬼か畜生になった。

 3 進駐軍は神サマ、
   “ギブミーチョコレート” は日本人の合い言葉

 4 ヤンキーゴーホーム!
   軍事基地、安保などで反米意識強まる

 5 単なる商売相手
   日本製品(特に光学器などでは日本の独壇場)に対してアメリカ人は頭を下げてやって来る始末。
  
 これから先は どう変わっていくのだろうか?。

 ※ これを書いたのは、もう相当にムカシですね------現在の関係については どう書いてよいのか?。
   ------------ それは皆さんにお任せ、としておきましょう。

2011年9月24日土曜日

「修身」のテストから

 
 
1日本は昔から禮儀の正しい国だと申されています。
 あなたの実行している食事の禮法をかきなさい。

 一、姿勢を正しくしてたべる
 一、感げきしてたべる
 一、食器をていねいにとりあつかふ
 一、にこにこしてたべる
 一、あとかたづけをよくする

2 久田船長の人々をして涙を流させた点はどんな所ですか。

 「船と運命を共にするのが、船長の義務だ。お前たちは、一人でも多くにげろ、それが 私のつとめだ」
 といっているところです

3 橘中佐にしても、加藤少将にしても軍神と いわれる当然の理由はどこにあるのですか。

 小さい時 から無口で、意志が強く、平生のおこなひがりっぱであり父母兄姉の おしへをよく守って、
 軍にでてからも、てがらがあったからです

4 勝安芳のえらい点をあげなさい

 意志の強い ふんとうどりょく の人であること
 血をしぼり骨をけづって、じしょをうつした点がえらいと思ひます

5 日本人のどんな点について、アメリカ人は「日本人をあなどる事は出来ない」といふ感じをつよくしたのでせう。

 わづか二百トン足らずの船で、よくもあの波のあらい太平洋を乗りきってアメリカにわたったことです

6 神鷲精神に続いて あなたは どんな所に、この精神を生かしていますか。

 よく勉強し、寒さあつさに勝って 大きくなって必ず米英をうちたほし あくまでも日本を守るといふ精神です
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 以上ですが、前にも その一部を載せた記憶がありますね。それは、最後の「日本をまもる」、この箇所で、ここでは、「攻める」のではなく 、「まもる」との受け身になっている箇所でした。

戦争資料から

 
 
 新聞切り抜きとは別に、いろんな資料のコピーの中からですが、ここの左端に載っている歌、
 「硫黄噴く島の岬に立ちぬれて、皇国(みくに)の栄(さかえ)けふも祈りぬ」
 このテの歌が、当時いろんな箇所で散見した記憶がありますね。単なる出来事であっても、
 それを575で詠うとなると、どこか違った雰囲気が感じられたものでしたよ。
 これは私のみならず、当時の日本人の多くが そう感じた筈、と思っていますが?。

 なお、ここに載せたのは戦後手に入れた資料からです。

神風とは?

 
 
 昭和21年3月15日の新聞から。
 私の当時の切り抜きからですが、高天原はさておいて、元寇で吹き荒れた嵐は単なる台風による、との認識は子供ながら ちゃんと持っていましたね。“ 建前と本音 ”----その言葉こそ知りませんでしたが、教科書とは、そんなもんだと悟っていましたよ。

 それは私の時代の者であれば、大多数が 心の中では そう理解?していたのではありませんか?------。