ご免なさい〜〜。
前の写真は、その下の画像と同じで夕暮れ時ので、これが改めて写した眺めの画像です。
同じような画面のようですが、やはり違っているのにご注目の程を〜〜。
2012年4月30日月曜日
2012年4月29日日曜日
「この戦争には負ける」
「この戦争には負ける」--とは、ここでの、どこかのサイトに書いた記憶もあるのですが。
それはそれとして、昭和16年12月8日、その日に「大東亜戦争」(当時の呼び名は、これに統一されていました。)が勃発し、以後、国中が大騒ぎになってしまいました。
それからと云うものは、毎日のように海軍やら陸軍の軍歌が、まわり中に溢れましたよ〜。
それと同時に、素晴らしい戦果の数々も飛び込んで来ましたなあ〜。
なにせ、半年も経たないうちに、大日本帝国の日章旗は大平洋の大半の島々で はためいたわけでしたからね。
その当時の私は尋常小学校の2年生でした。
ただね、それらの、 勝った!〜勝った!〜叫ぶ連中を見渡して、近所に居た一人の古老だけが全く違った表情をして、誰に云うともなく「この戦争には負ける」と、時折そう呟いていたのですよ。
当然ながら、その古老の呟きは、見向きもされず一蹴され、その後 彼の姿は消え失せてしまったのですが、思えば、なんとはなしに「この戦争には負ける」との御託宣が、後になって利いて来たのか、その言葉への同調者も増えて来たのでした〜。
勿論、表面的にはモノ云わぬ同調者達でしたが。
但し、利いて来たとは云っても、大戦果の数は減らずに増える一方っだったので、何というのか、バランス感覚とでも云うべきなのか、勝利の陰に これからの敗北が始まる、と、全く違った二つの立場でモノを考えるようになって来たのか--------そんな感じだったようですね。
開戦から二年後、その時の私共の「尋常小学校」は「国民学校」の呼称に変えられてしまい、結局のところ、この戦争は、私はその「国民学校」の 六年生の時に敗戦を迎える事で決着したのでした。
---------と云っても、その事から古老の言葉を云々する、と短絡的に云う事ではなくして、人間誰しも、いろんな出来事に対するとなった場合は、“ 人間とは絶妙なバランス感覚で物事を推し量るように出来ているのだ〜 ” と云う事だ、と そう考えるようになって来たのでしたよ-----。
勿論、そうであるからこそ、短絡的結論かも知れませんが〜〜敗戦の結果を招いても、懸念されたような国家的騒動は避けて通る事だ出来たのだと思う次第なのですが?〜---------。
それはそれとして、昭和16年12月8日、その日に「大東亜戦争」(当時の呼び名は、これに統一されていました。)が勃発し、以後、国中が大騒ぎになってしまいました。
それからと云うものは、毎日のように海軍やら陸軍の軍歌が、まわり中に溢れましたよ〜。
それと同時に、素晴らしい戦果の数々も飛び込んで来ましたなあ〜。
なにせ、半年も経たないうちに、大日本帝国の日章旗は大平洋の大半の島々で はためいたわけでしたからね。
その当時の私は尋常小学校の2年生でした。
ただね、それらの、 勝った!〜勝った!〜叫ぶ連中を見渡して、近所に居た一人の古老だけが全く違った表情をして、誰に云うともなく「この戦争には負ける」と、時折そう呟いていたのですよ。
当然ながら、その古老の呟きは、見向きもされず一蹴され、その後 彼の姿は消え失せてしまったのですが、思えば、なんとはなしに「この戦争には負ける」との御託宣が、後になって利いて来たのか、その言葉への同調者も増えて来たのでした〜。
勿論、表面的にはモノ云わぬ同調者達でしたが。
但し、利いて来たとは云っても、大戦果の数は減らずに増える一方っだったので、何というのか、バランス感覚とでも云うべきなのか、勝利の陰に これからの敗北が始まる、と、全く違った二つの立場でモノを考えるようになって来たのか--------そんな感じだったようですね。
開戦から二年後、その時の私共の「尋常小学校」は「国民学校」の呼称に変えられてしまい、結局のところ、この戦争は、私はその「国民学校」の 六年生の時に敗戦を迎える事で決着したのでした。
---------と云っても、その事から古老の言葉を云々する、と短絡的に云う事ではなくして、人間誰しも、いろんな出来事に対するとなった場合は、“ 人間とは絶妙なバランス感覚で物事を推し量るように出来ているのだ〜 ” と云う事だ、と そう考えるようになって来たのでしたよ-----。
勿論、そうであるからこそ、短絡的結論かも知れませんが〜〜敗戦の結果を招いても、懸念されたような国家的騒動は避けて通る事だ出来たのだと思う次第なのですが?〜---------。
「泣き言云うな!」
子供の頃の我が身を振り返って思うに、泣き言となると、オイオイなきながらも、あたりの雰囲気を感じ取って、兄やら姉やら、自分を泣かせた相手に対して、相手がもっとも嫌っている言葉の2〜3を、思い切って大声で叫んだ〜と、そんな記憶が多いかな、と思うのですが、どうでしょうか?〜。
ともあれ、昔の我が家の場合は、5人の子供の一番下が私だったので、泣かされるのは日常的でしたね。
従って、その時に返す言葉となると、無意識のうちに、かなりの数、憶えておいて胸の中に蓄えておき、泣きながら それらを叫び連ねていた、との記憶があります。
唯、現在となると、少子化時代ですから、子供を泣かせる機会も少ないし、加えてモノも豊富にあるので、それ程に切羽詰まっての子供の泣き事そのものも少なくなっているような気もしますね。
まあ〜恵まれているのは確かだとしても、云えば、土壇場に至る経験が少ないとあって、そのマイナス点が結構目につく時も多いのも確かとも思いますよ。
従って、逆に、父親であれ母親からでも、一発「泣き言云うな!〜」と どやされたい潜在意識も結構有るとも思うし、あっても不思議ではない----とも思うのですが、どうでしょうか?。
----------------------------
それとは別に、いっぱしの社会人として、立場の弱い者に対し、その上の者が「泣き言云うな」と云った場合の持つ意味はまるで違って来ますね。
まあ〜「オレに屈服せよ」と、そんな意味を持つと云うべきか-----となると、立場の弱い泣き虫としては、徒党を組んでモノ申す〜〜と、こうなるのも確かな事実なのかも知れません。
散歩道から4-29-3
ここで お目にかける樹や草と云っても、普通にありふれたものばかりで、特別の種類ではありませんね。
それでなお、よくよく見つめて考えてみるに、とにかく、よくぞ、ここ迄生きて来たな〜〜と声をかけてやりたくなるくらい神秘に溢れる姿ばかりですね。
これなどは、かなり以前となると、瀕死の重傷に喘いでいた感じで見ていましたよ。
------------ともあれ、現在の目で ご覧なさいな。
切り捨てられた幹のすぐ脇から、新しい息吹と共に芽が出て来たではありませんか!。
上とは違った樹の姿ですが〜〜。
これらの葉が、芽吹いた結果続々と出て来るのは、どこからの信号で為されているのでしょうか?。
-------ともあれ、一生懸命!、 力一杯!、間違いナシの道を辿っている事だけは確かですよね。
それでなお、よくよく見つめて考えてみるに、とにかく、よくぞ、ここ迄生きて来たな〜〜と声をかけてやりたくなるくらい神秘に溢れる姿ばかりですね。
これなどは、かなり以前となると、瀕死の重傷に喘いでいた感じで見ていましたよ。
------------ともあれ、現在の目で ご覧なさいな。
切り捨てられた幹のすぐ脇から、新しい息吹と共に芽が出て来たではありませんか!。
上とは違った樹の姿ですが〜〜。
これらの葉が、芽吹いた結果続々と出て来るのは、どこからの信号で為されているのでしょうか?。
-------ともあれ、一生懸命!、 力一杯!、間違いナシの道を辿っている事だけは確かですよね。
散歩道から4-29-2
このような色彩が時間と共に いろいろと変化していくわけですから、自然の為せるワザには本当に最敬礼するだけですね。
この緑色と、圴一に揃った独特の形をご覧なさいな。
この見事な色彩に加えて、そのスタイルも云うに云えない膨らみですよね。
この緑色と、圴一に揃った独特の形をご覧なさいな。
この見事な色彩に加えて、そのスタイルも云うに云えない膨らみですよね。
写真一枚入れます-2。
写真は確かに こちらのマックには この通り載りましたが、ウインドウズの方では、その写真も駄目で、文言以外は載っていませんでした。
-------と云っても、こちらはこちらで いつ消滅するのか判りませんがね。
まあ〜私であればこそ、あれこれと続けていますが、気の短いオッチャンなどの場合は爆薬??-----でも持って関係各社に押しかける??のではありませんか〜〜。
-------と云っても、こちらはこちらで いつ消滅するのか判りませんがね。
まあ〜私であればこそ、あれこれと続けていますが、気の短いオッチャンなどの場合は爆薬??-----でも持って関係各社に押しかける??のではありませんか〜〜。
明治天皇と鉛筆
手許に置いて使用している鉛筆の芯が短くなったので、ナイフで削っている時に、その件について、かって教科書の中の、明治天皇の話の中に 書かれてあったのを思い出しました。
そのハナシを 2011年8月10日にアップしてましたね。
その中の文面が下記です。
---------------------------
その昔の小学校時代、勿論 戦時中でしたが、国語の教科書に明治天皇の事が書かれてあり、その中に
「-----鉛筆は ちびて わずか寸余を残すのみ」
と、あったのを憶えているのですが。
つまり、お使いになられている鉛筆は、何度も削られて、最後の頃は、小さくなって3センチ余りになっていたが、それでもなお陛下は、それをお使いになっておられた------と、そんな中身だったですね。
陛下の、お人柄を示す有名な文言なのではありませんでしたか。
そこで「寸余」を35ミリとして、それで実際に書けるのか?---------当時、やってみましたよ。
意地悪な学童だったですよね。
どうだったか?--------勿論 大丈夫でした。但し、それは小学校児童での、手の小さな人間であればこそであって、これが手の大きい大人では絶対にムリだとの結論だったのですよ。
まあ〜それだけのハナシだったのですが。
振り向けば「まる」-2
振り向けば「まる」。
「まる」も暑いので、畳の上で ゴロゴロしているよりは、廊下で じっとしている方が自分でも 畳の上よりは暑さも防げるし、サマになると心得ているのでしょうね。
ただ、顔だけは、敷居の上に乗せてあるので、それなりの「傾向と対策」〜 を心得ているのでしょう。
「まる」も暑いので、畳の上で ゴロゴロしているよりは、廊下で じっとしている方が自分でも 畳の上よりは暑さも防げるし、サマになると心得ているのでしょうね。
ただ、顔だけは、敷居の上に乗せてあるので、それなりの「傾向と対策」〜 を心得ているのでしょう。
おかしいなあ〜--2
「おかしいなあ〜」として載せた花の画面は、今回はウインドウズにも ちゃんと載りましたね。
その前の「根性!」この画面が、ウインドウズの方に、何故出なかったのか、これで ますます判らなくなりました〜(涙)。
その前の「根性!」この画面が、ウインドウズの方に、何故出なかったのか、これで ますます判らなくなりました〜(涙)。
天長節
その昔の今日、4月29日は、天皇陛下がお生まれになられた日、と云うことで、学校では 長々とした式が行われていました。
その、長々とした式〜これが問題で、児童達には堪えられない苦痛でしかありませんでしたよ。
因に、その式で歌われていた「天長節の歌」の歌詞が以下です。
この式なるものも、まあ〜それだけであれば まだしも、その外にも結構ありましたね。
(写真は その昭和時代の天皇陛下「昭和天皇」)
その、長々とした式〜これが問題で、児童達には堪えられない苦痛でしかありませんでしたよ。
因に、その式で歌われていた「天長節の歌」の歌詞が以下です。
この式なるものも、まあ〜それだけであれば まだしも、その外にも結構ありましたね。
(写真は その昭和時代の天皇陛下「昭和天皇」)
『天長節 (黒川真頼 作詞,奥 好義 作曲)
今日の吉(よ)き日は 大君(おほきみ)の。
うまれたひし 吉(よ)き日なり。
今日の吉き日は みひかりの。
さし出(で)たまひし 吉き日なり。
ひかり遍(あまね)き 君が代を。
いはへ諸人(もろびと) もろともに。
めぐみ遍(あまね)き 君が代を。
いはへ諸人(もろびと) もろともに。
(黒川真頼 作詞,奥 好義 作曲)
元気であらせられた頃の昭和天皇。
2012年4月28日土曜日
ブログ蘇生には〜。
私のブログを再生させるとなると、ともあれ全体的なブログの容量、その容量がオーバーした、と云う単純な理由からでしょうが、その容量を改めて増大させる事が可能か、どうか、これが問題で、それが可能であれば簡単に解決するとも思うのですが、それは推測では、 どうなんでしょうか?〜可能なんでしょうか?。
〜となると、それはさて、どこに相談したらいいものやら皆目不明-----そんな状態。
-------違った解決法となると、これまでアップした中身の中の、せめても最初の頃の分を ある程度カットしていけば、その分余裕が出るので、それを行うほか無いようですね。
それは、かなり以前、やった記憶がありますが、カットした分への未練が長く続いた記憶がありました。
これがベストとは申せ、どうするかこうするか、結構悩んでいるのがホントのところ〜。
〜となると、それはさて、どこに相談したらいいものやら皆目不明-----そんな状態。
-------違った解決法となると、これまでアップした中身の中の、せめても最初の頃の分を ある程度カットしていけば、その分余裕が出るので、それを行うほか無いようですね。
それは、かなり以前、やった記憶がありますが、カットした分への未練が長く続いた記憶がありました。
これがベストとは申せ、どうするかこうするか、結構悩んでいるのがホントのところ〜。
2012年4月27日金曜日
屁理屈
「屁理屈」とは奇妙な言葉だと以前から思っていましたよ。
この「屁理屈」と同じような言葉としては「糞理屈」「ションベン理屈」------ これ等があって当然かと思うのですが、まあ〜使えない事はないにしろ、何故か聞いた事はありません。
つまり「屁」の場合は、出るや すぐ消えてしまうので、その理屈の軽さをも含んでいるような気がします。つまり「軽い」こと自体が、この言葉の無意味さを表現しているのでしょう。ただ、その分、汚さは感じるかと云えば、それは それ程でも無さそうな感じを受けますね。
それを、より汚く感じるようにするとなると「嘔吐」と「下痢」「屁」をミックスして「吐痢屁」発音は「ドリヘ」------これで、いかがでしょうか?。
「どりへ りくつ 云うな!〜」
------ちょっと 汚なさ 過ぎるかナ〜。
この「屁理屈」と同じような言葉としては「糞理屈」「ションベン理屈」------ これ等があって当然かと思うのですが、まあ〜使えない事はないにしろ、何故か聞いた事はありません。
つまり「屁」の場合は、出るや すぐ消えてしまうので、その理屈の軽さをも含んでいるような気がします。つまり「軽い」こと自体が、この言葉の無意味さを表現しているのでしょう。ただ、その分、汚さは感じるかと云えば、それは それ程でも無さそうな感じを受けますね。
それを、より汚く感じるようにするとなると「嘔吐」と「下痢」「屁」をミックスして「吐痢屁」発音は「ドリヘ」------これで、いかがでしょうか?。
「どりへ りくつ 云うな!〜」
------ちょっと 汚なさ 過ぎるかナ〜。
無数に〜
夜空に見上げる天体の中には、地球そっくりの天体があって然るべきだと思うのですが、いかがなものでしょうか。
とにかく、この宇宙には天体は無数に存在するのですから、その中に類似地球があって当然でしょうね。
繰り返しますが、天体は無数に!存在するのですから〜〜。
----------となると、地球そっくりの その天体には、勿論、人間とそっくりの宇宙人も存在して然るべきでしょう〜。
更に、そうなると、その無数の中には、この私や貴方に そっくりな同一人物が居て当然です〜。
当然ながら、これらも無数から引き出せる結果ですよ〜。
-----------これって、間違ってはいませんよね。
とにかく、この宇宙には天体は無数に存在するのですから、その中に類似地球があって当然でしょうね。
繰り返しますが、天体は無数に!存在するのですから〜〜。
----------となると、地球そっくりの その天体には、勿論、人間とそっくりの宇宙人も存在して然るべきでしょう〜。
更に、そうなると、その無数の中には、この私や貴方に そっくりな同一人物が居て当然です〜。
当然ながら、これらも無数から引き出せる結果ですよ〜。
-----------これって、間違ってはいませんよね。
消えるか〜続きの続き。
どの画面が消えずに出て来るのか、加えて、いづれその後、消えるのか消えないのか------。
これらの状況判断が全く出来なくなりましたね。
--------どうすれば宜しいものやら〜〜。
これらの状況判断が全く出来なくなりましたね。
--------どうすれば宜しいものやら〜〜。
2012年4月26日木曜日
始めに
大平洋戦争(大東亜戦争)が始まったのは私の小学校二年生。終わったのは六年生の夏でした。
戦争を通じて、我等大日本の小国民は、勿論 熱烈な軍国主義で通しました。だからと云って、終戦と同時に いきなり反戦主義者へ衣替えは なかなか出来ませんでしたね。勿論、普通並みに民主主義を唱えはしましたが、ある面では大人以上にこだわりがあったとも思うのでしょうが、御同輩の方々はいかがなものだったでしょうか。
つまりは、単純な年の頃でしたから、幼稚な分、 急な方向転換が出来ず、うろうろするだけで、その分、単純には 変節を潔しとしないだけの“残り性根”があったように見えた年頃だったとも思いますね。
もっと申せば、それまでミルクを飲んでいた赤ん坊に、いきなり、お粥を喰わせる時などに生じる その赤ん坊が見せる戸惑い、そんな状況に似た状態であったと申し上げておきましょうか。
ともあれ、それはそれ、今となっては貴重な資料を残した事で、それだけは、事の正邪とは別に自分なりに自分を誉めてやりたい!!?と考えている 次第ですので・・・。
ともあれ、以来ウン十年経たこの頃、あの頃とは世界は全く違ってしまいました。
------------と、ここまではイントロダクションとして、先ずはアップ如何か結果を見る事に
致しますので。
草臥れて来ました〜。
ホームページ制作、何故このように面倒になってしまったのか、壁向こうの当事者達の意図が不明です。
簡単に、誰にでも出来る仕組みにしないと、これでは駄目になるのではありませんか?。
--------- いかがでしょうか?
簡単に、誰にでも出来る仕組みにしないと、これでは駄目になるのではありませんか?。
--------- いかがでしょうか?