2013年11月30日土曜日

戦中最後の切手


戦中最後の切手、とあるので、その方面での収集家にでも お聞きしてみたいものですね。
目下、それぞれ ナンボ位の価格なのでしょうかねエ〜。

値段は 三銭と五銭とありますから、原価は 現在の感覚では 全くの 只同然ですヨ。

それが、何千円ではなくて、何万円なんでしょうか?〜 -------  全く 見当すらつきませんね。

散歩道から 夕方





すべてが今宵の「秋の夕暮れ」ですので〜。

山形時代 の繪


山形市内の景色で、かっての我が家の近くでもありました〜。
昭和27年に描いた-----とあります。結構 大人(おとな)になってからのようで〜。

右側は土手で、内部は山形城趾ですが、当時は、それらしいモノは何もなかったですね。

戦前から終戦迄は、帝国陸軍 山形聯隊で占められていました。
戦後はしばらく進駐軍と、彼等の宿舎。

いずれも一般人は 立入禁止。

現在は、勿論 立ち入り自由で、再現された城の適当な部分箇所とか、かっての屋敷などに加えて、野球場を含めて、それなりのレジャーランド?に変容していると思いますが〜。

鉄路の方では------ 。
向かって左は 奥羽本線、右は、左沢(あてらざわ)線 が走る鉄路(共々単線)。

これらの様々は、現在は どうか?。線路の、状況、役目、などには違いはないとしても、当然ながら、周囲の状況は、このスケッチから更に違った風景になっているでしょう----ただ、山形に帰る事もないので、ホント、どうなっているのでしょうかね。

土手の上には、桜の木が並んでいるのですが、それはそのまま維持されている筈で、その他の土手に繁茂している いろんな樹々の方は取り払われてキレイになっていると思われますね。


右下の小さな写真は 戦後間もなくの写真 。水量が貧弱なのが違っているようで〜。

「汽車みち」とは、汽車が走る線路が敷かれている箇所 の当地の呼称。

--------- 思えば、それも懐かしい呼称でしたなア〜。


※  ただ、煙を吐いて走る蒸気機関車は、現在では、どこであれ、全く見られなくなって淋しい限り。


木蓮


庭の木蓮も、見事な色彩ですなア〜。
ただ、見事だと感心している間はさておいて、散るようになると、道路に落ちたのを拾い上げて来る仕事が出て来ますのでねえ〜。

” スマウバ ”



私の 小学校時代、多分4年生の時かと思うのですが、学校の俯瞰図です。
 当時としては、鉄筋コンクリートの三階建ての、立派な校舎でしたよ〜。
(中への書き込みは、後年加えたもの)
時代は戦時中の頃だったので、勿論 日の丸の国旗も ちゃんと立っていますね。

 -------- それはそれとして、この俯瞰図での画面左側の「ウスバマ」、これって「ウスバマ」なのか「ウバスマ」なのか〜これだけでも、もう何なのか 今の人間であれば当然ながら混乱すると思いますが?〜。

これは、勿論 現在での「すもうば」(相撲場)の事。

これに限りませんでしたが、小学生にはムリな国語が至る所に見られて、とても「話し言葉」と「書き言葉」は一体化しませんでしたなア〜。

 ただね、この「すもう」は現代語では主に「相撲」(時には角力)と書かれているわけですが、これって「 あいぼく」とか「そうぼく」加えて「かくりき」とかと読む以外に読みようのない漢字のようで、この通り、現代語であれ、日本の国語は完璧ではないようですが〜。

“ 天下泰平〜 ”




朝の散歩を終わって、私の傍での 日向ぼっこ。
----------- これぞ天下泰平のサマでしょう〜。

2013年11月29日金曜日

イヌ の漢字



イヌの漢字が  つまり 大 チョンでは意味がありませんよね。
これでは  確かに  おかしいですよ---------。

まあ〜せめても、首 があって、更に 横長の胴体 を入れ、あとは 四つ足、とこれだけ揃えれば 宜しいではありませんか?〜。

これじゃア〜ちょっとメンドクサイってか!〜。

OK〜しばらく待ってくれ〜もう少し考えるとするベヨ〜。

散歩道から 夕方−2


 いつもながらの人の姿も たまに見られる程度の侘びしい路地裏通り。
夕暮れ近い折りも折り、小父さんが 一人 何かと 働いておられるようでしたが〜。


クルマは走っているとは云っても、これまた あまり動きが見られない路地通り。
ここでは、画像の色彩を多少マイナスさせてみましたが〜。

散歩道から 夕方


日当りは それとして、風が吹いて来たせいか、結構 寒い散歩となりましたね。


 カーブミラーからの反射光で、道路に 丸い光りの輪が出来ています〜。
これって、時間によって 丸の大きさに大小の変化が生じるような気がして------。


逆光から撮ると、どうしても  侘びしい!〜淋しい!〜画面が出来てしまいますなア〜。

校長先生の お名前


前にも載せたような気がするのですが〜。
私共が小学校を卒業した当時の 校長先生の お名前は「うとぬま たもつ 校長先生」でしたね。

耳に聞く響きからでは、それ程の違和感?は無かったような気がしましたが、文字を見ると、確かに 不思議な感じがしたものでしたよ〜。

 察するところでは、それなりに由緒のある お家柄 の方だったのでしょう〜。

散歩道から 午後





いつもの雑木林ですが「まる」は、あまり中には入りたくない場所でもあるようですね。
----------と云ったところで、専ら外からの画像ですので〜。

小学校時代から


小学校一年生の時か、クラス一同の写真からですが。
私は真ん中の白い襟の子。

この中で、気になる子と云えば、上の段の左から2番目の色の白い子。
我が家の裏手に住んでいたのですが、ある日の夜を通して家人何人かで、ガタゴトやっていたのはよしとしても、翌日から無人となり、当然ながら 彼も学校に来なくなってしまいましたね。
何日かして、彼から届いた葉書には、たどたどしい筆跡で、満州に来ている、とありましたよ。

貧困の余り、一家で夜逃げをして、満州で生き延びようと決意されたのでしょう〜。

何ヶ月後、市内で、満州からの子供の繪 と称する小さな画展があって、その中に彼の繪が一枚 展示されてありましたね。結構 懐かしくて 現在に至るも その繪の記憶は残っている感じもしますね。

 ---------- それが記憶のすべて です。

終戦と同時に、どうなったものやら、押し寄せた ソ連軍のため、臆測では全滅したのではありませんか?〜。

朝イチ 散歩から


朝イチ散歩も、11月末ともなると、結構  “ 冷たさを感じる季節到来 ” 〜と思うようになりますね。


 そんなに早い時刻ではないのに関わらず、影の長さは  日の出の頃から、長くなったままのように思えて〜。


 左上のカーブミラーからの丸い光も、季節柄 小さくなって----と思ったりして〜。


--------- それにしても、いつもいつも 人間サマには お目にかかりませんなア〜。

窓から〜 朝イチ眺め





窓をあけて、窓の外を見渡すと 同時に、クルマからの射るような光が飛び込んで来ましたネ ーーーーともあれ、今日もまた スッキリした 日本晴れ の一日 でしょう。

2013年11月28日木曜日

戦争画


 これは多分4年生の頃で、他の雑誌から写し取った画のようで〜。


これは  はっきりしませんが、最初の頃の本土来襲となれば5年生だったと思います〜。
その頃だっただけに、B29の尾部銃座が抜けていますネ!〜。
加えて、尾翼のストライブ模様はB29には無かったし〜と、そこ迄の細部に到るとなると、まだ、正確な知識は持っていなかった頃でしょう。

黄色の箇所のコメントは後年 書き込んだもの。

散歩道から 夕方 −1−2


 右端の丸くて大きい影、これって、何の影だったかな----。
ちょっと、記憶がありませんね。
この影に 脚 がついていないようなのが 不思議なのヨ〜。
-------- ホント、何だっけかなア〜。

※ 〜よく見ると、右の縁(へり)に、細い足の影が見えているような気もしますネ?〜。


 この家は、あっという間に出来たような感じがして------- 。
昨日迄は、単なる草っパラだったような気がするだけなのよ!〜。


このような雲は、どんな風によって生じたものやら、専門家の方々でも解釈するとなると、結構 厄介なのではありませんか?〜。

散歩道から 夕方 −1


 通り道に立っている樹ですが、まあ〜老木でしょうね。
ただ、葉っぱ などを見る限りでは、まだまだ  “ 健在 ”  が 続くと思いますよ。
これからも、お互サマ!? 大いに頑張って くれ ------よナ!?〜。


 駐車場でしょうから、屋根は無いだろうし、その分「(そら)が有る!!〜」わけだし〜大丈夫ですよ!〜。

※ ------- それって解釈が違っているって云わないでね。


近代的な建物が、何も生えてない草っ原の向うに建っているのが 繪になりますなア〜。

窓からの眺め


 窓からの眺めでは、外は 結構  暖かそうな感じも受けるのですが、首を出してみると、結構 冷たいようですなア〜。


ここでの空の景色はさて於いて、真っすぐ横に延びているいる雲の層、よく見かけるシーンですが、稀有な姿だと思いきや、結構 毎日のように見られますね。

地形的に それがそうなると、決められている感じもするのですが〜。

小学校教師


戦前、私の 小学校入学当時の頃の 先生 御一同の写真。

別に変わっている写真ではありませんが、女性の先生一同 殆どが和服姿、これが目を惹きましたね。

ただ、卒業は終戦の翌年の三月。従って、当然ながら その時は 和服姿の先生は おられなかったと記憶していますが〜。

外の眺め


 庭の木蓮は、これこの通り、晴れ渡った秋の空に  見事な迄の秋の色彩で〜。


空は晴れ渡っている筈ですが、遠くの給水塔はグレーの空に聳え立っているようですね。

散歩道から 朝


 今朝は かなり寒いかとも思ったのですが、外に出れば、まあ〜それ程でもなかったようですね。


 この赤い樹は、この季節になると俄然 映えるような感じ かナ〜。


 出す モノ は、アスフアルトの道路ではなく、土に向かって〜  これが今朝の「まる」の最低限の   嗜み(たしなみ)のようでして-------。


これは単なる花ではなくして、収穫を目的とするケースでの途中経過なのかも?〜。

2013年11月27日水曜日

窓からの眺め 夜 原画



下段の「窓からの眺め 夜」の原画が これ等になります。

---------ともあれ、よくぞまあ〜いろいろと進歩したもんですなア〜。

マウスを動かすだけでいろいろと出来るのですから、これ等となると、大東亜戦争の頃からは信じられない科学の大進歩!〜でしょうね。              

窓からの眺め 夜



窓からの眺め ですが〜、
眼視共々、画像でも真っ暗で何も見えないのですが、処理をして、この程度迄漕ぎ着ける事が出来ました。

---------とにかく、寒さがバツグンで、目下のところは炬燵に入りっ放しですね。