因に、終戦は 小学校6年生の時で昭和20年8月。
載せた問題から一カ所のみ アップしてみますので。
四 次の俳句を口語体になほせ
※ 「はほせ」は、当時の仮名遣いで、 「なほせ」は現在では「なおせ(直せ)」。
元日や 一系の天子 不二の山
私が書いた 答が以下
元日といふのは、年の一番はじめの おめでたい日で 上には萬年も千年もかはらない ひとすじの天皇をいただき、地には二つとない山 富士山をあふいて、このありがたい国に うまれたことを かんしゃせずには い(※ 旧かなでの もう一つの「い」で、ここではその「い」は出て来ない)られない
-----------とりあえず、そこだけのアップですが〜。
回答の文言がスマートに欠けるので、理解不可の回答ですが、それはそれ、まず設問がイヤな中身ですよなア〜。
国語はさておいて、修身(現在は 「道徳」かな?)となると、当時の道徳もさる事ながら、その かなりの頁数が上御一人(かみごいちにん-----天皇陛下)に関する内容が盛り込まれていたような記憶もありますね。
因に、大平洋戦争が終結したのは 6年生の夏でした。
負けて口惜しがったか は それ程 無かったと思う反面、子供ながら、これから先 どうなるのだろうか、と 将来を思い 途方に暮れた一面も持ち合わせましたよ。
一番怖かったのは、アメリカの軍隊がやって来て、当たり構わず日本人を銃で殺し歩く、と、そんな恐怖感も抱いたものでした〜。
そんな中で、ささやかながら、修身の勉強は、取り敢えずストップした事だったのですが、進駐軍がやって来る前迄に、5年6年の生徒一同のみ 改めて、修身とは別に、日本国史を教わった事でした〜。
その授業の前置きは「これからアメリカ軍がやって来ると、全く違った歴史を教えるにちがいないので、それに惑わされる事のないよう、しっかりした本当の日本の歴史を教える」と、それでしたね。
ともあれ、天照大神 のハナシから始まって大東亜戦争に至る迄の長い期間の歴史を10日くらい迄やりましたかなア〜。
それはそれ、やがて進駐軍がやって来て、どんなフレーズが記憶に残ったかと云えば、それは「ギブミーチョコレート」----------これでしたヨ〜。
大日本帝国の児童として存在していた我が身は、その「ギブミー云々」に ころりとひっくり返ってしまいましたね。
勿論、下々の、殆どの日本人が アメリカの兵隊サン大歓迎と叫び 、チョコレートは勿論、彼等のあらゆるモノに群がったのではないかなア〜。
まあ〜群がる事はさておいても、当時の日本人の大半が、心底ではチョコレートは欲しかった筈でしょうナア〜。
因に、天照大神のハナシの中身などは、進駐軍のチョコレートを前に どっかへ吹き飛んで行ってしまいましたね。