2010年5月11日火曜日

B29東京爆撃

墨田区京島地区も甚大な被害を受けた墨田区中央部の中で奇跡的に延焼を免れた一帯。空襲以前にも関東大震災の際にも延焼を免れ、ほぼ大正初期の路地構成や建物の面影を今に残す、下町一帯の中では希有な地域である。但し「生き残った」ことにより、自動車も通れない明治大正期の極狭路地が迷路のように走る同地帯は、現在では防災面で深刻な問題のある地域として懸念されている。




警視庁の調査での被害数は以下の通り。
  • 死亡:8万3793人
  • 負傷者:4万918人
  • 被災者:100万8005人
  • 被災家屋:26万8358戸
死者数は遺体が早期に引き取られた者は含まれておらず、他に行方不明者も数万人規模で存在することから、実際にはより多い。民間団体や新聞社の調査では死亡・行方不明者は10万人以上と言われる。わずか一回の空襲で東京市街地の東半分、実に東京35区の3分の1以上の面積(約41km²)が焼失した。
ちなみに、アメリカ側の損害は撃墜・墜落が12機と、撃破が42機であった。
  以上 wikipediaより

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