これは高校卒業して、それ程経ってない頃、つまり昭和30年前後、と判断したのですが。
元の判は35ミリの密着プリント、それを拡大したものです。
これでも、戦後もここまで来ると大変な賑わいになったもんだ、と感服しながら、その繁栄のサマを写すべし、と張り切ったのを覚えています。
但し、山形市は爆撃を受けなかった数少ない県庁所在地だった関係で、或る面では戦前の建物が多く残された貴重な町、それだけに新旧モザイク街となったのもヤムを得ない現実でもありましたね。
その頃だったかどうか、山形を “ 大山形 ” と称す御同輩が多かった記憶もあります。但し卑下するわけでもなかったのですが、ちょっと ‘ おこがましい ’ とも思いましたナ〜〜。
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