2011年1月11日火曜日

双葉山と「木鶏(もっけい)」

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少年時代の負傷が元で右目が半失明状態(5歳の時吹矢が右目に当たったという)だったことや、右手の小指が不自由(事故で2度も右手の小指に重傷を負いその後遺症による)といったハンデを抱えながら、「木鷄」(もっけい=『荘子』にでてくる鍛えられた闘鶏が木彫りの鶏のように静かであるさま)を目標に相撲道に精進し、昭和屈指の大力士となった。
本場所での通算69連勝、優勝12回、全勝8回などを記録。年2場所の時代の力士であるがその数々の大記録は未だに破られていないものも多い。
日中戦争の泥沼化、太平洋戦争が間近に迫る時局もあり、国民的英雄となった。「双葉の前に双葉無し、双葉の後に双葉無し」という言葉の示す通り、まさに不世出の大横綱であり、「角聖」の異名で知られた明治の常陸山谷右エ門と並ぶ偉大な力士として「相撲の神様」「昭和の角聖」と呼ばれることも多い。
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 紀渻子(きせいし)、王のために闘鶏(とうけい)を養う。十日にして、問う、「鶏すでにするか」。曰く,「いまだし。まさに虚憍(きょうきょう)にして気を恃(たの)む」。十日にしてまた問う。曰く、「いまだし。なお嚮景(きょうえい)に応ず」。十日にしてまた問う。曰く、「いまだし。なお疾視(しっし)して気を盛んにす」。十日にしてまた問う。曰く、「幾(ちか)し。鶏、鳴くものありといえども、すでに変ずることなし。これを望むに木鶏に似たり。その徳全(まった)し。異鶏(いけい)あえて応ずるものなく、返り去らん」。

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