2011年1月1日土曜日

昭和20年1月1日の新聞

 
 
 ともあれ「神風まさに吹かん」「異常な決意、科学技術陣」とあるので、まさに!神頼み-----それだったのでしょうね。
 それにしても、その記事は擦れていて読めないのですよ。それは、活字のせいだけではなくして、インク、加えて紙の質、等々 が極端に悪化していたせいもあったようですね。

 加えて、それは更に 現在での復刻版 ですから、余計に読み難いのはヤムを得ないのかも知れませんが。

 まあ〜まあ〜、当時としては、神風ではなくしても “ つむじ風 ” ? でもいいから、次々に吹いて貰いたい状況だったでしょう。
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 ただ、ちょっと不思議なのは、国内の各社新聞は、全国的に、いかに激しい爆撃を被っても、記憶では配達はストップしないで、ここ山形では、終戦まで届けられていた---------と、本当にそうだったのかどうか------もし、そうであったら、これにアッパレを差し上げたい気持ちがありますね。

 もしかしたら、各新聞社は疎開していたのかも知れませんが、輪転機迄 疎開出来たのかどうかでしょうかね。

 因に、当時の我が家では、当時は「東京日々新聞(現:毎日新聞) 」でした。
(それが「毎日新聞」に名称が変更されたのは、いつからだったでしょうか?)。

 但し、思えば、一時期、タプロイド版程度の小さな新聞紙迄縮小した紙面が届けられていた微かな記憶も残っていますね。

 ※ 思い出したのですが、各社合同の新聞も一時期 出ましたね。(その件は、ここのどっかに載せましたね。名称は「共同新聞」だったと思います)。

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