2011年5月5日木曜日

超爆撃機「富岳」

 
 
 アメリカ本土爆撃を視野に入れた(計画では、日本を飛び立ち太平洋を横断、アメリカ本土を爆撃、そのまま大西洋を横断し、ドイツで補給を受け、再び逆のコース(または、当時のソ連)を爆撃しつつ戻ると言う)壮大な計画だった。全長45m(B-29の1.5倍)、全幅65m(B-29の1.5倍)、爆弾搭載量20トン(B-29の2.2倍)、航続距離は19,400km(B-29の3倍)、6発エンジンを目指した。
 当時の日本における技術力・工業力では手にあまると思える空前のスケールの機体であったために、実現までに解決せねばならない諸問題があり、与圧キャビンの研究、新型式降着装置の開発もおこなわれた。1943年中島飛行機三鷹研究所構内に組み立て工場の建設が開始された。1944年7月、マリアナ沖海戦に完敗し絶対国防圏の東の鎖ともいうべきサイパンが陥落、最大の支援者であった東條英機首相は辞職。本土防空戦のための戦闘機開発優先・開発機種削減方針により、「この戦争に間に合わない」と判断された富嶽開発は中止された。(wikipedia)
--------------------------------------
 戦後になってからですが、それ等の存在を知った当時、このような機種となると、子供ながら日本には向かないタイプでムリだ、と、なんとはなく感じ取っていましたね。
 これが戦艦とか航空母艦とかなると、それ等は結構日本であっても作れる範囲、と、そう読めましたが、飛行機ではムリだと、判断してました。
 その思いは、後年、最初の人工衛星の打ち上げの際、再度、経験したみたいでしたが?。

 つまり、人工衛星となると、その本体はチッポケであっても、そこまでに達する関連製品の生産、加えて打ち上げロケットの生産、更に、その生産に関連する資料、周辺機器、電子機器、とか、部品点数〜〜とか〜とか、を考えてみると裾野迄の広さは広大なモノになり、とても一筋縄ではいかないであろう事は容易に察せられたからでした。

 ------ 申せば、この飛行機に於いても、必要とされる生産工程での裾野の途方もない広さ、それがアタマに浮かんだからだったでしょうね。
 極論ですが、艦船の製造は、単なる土木工事 -------- に例えれば理解出来るかとも思いますが。

 そんな事で、これも、とても一筋縄ではいかなかった-------筈、と、結構冷めた目で見てましたね。

0 件のコメント:

コメントを投稿