2011年7月7日木曜日

空母 瑞鶴

 

 瑞鶴ずいかく)は日本海軍航空母艦翔鶴型航空母艦の2番艦。太平洋戦争中、真珠湾攻撃珊瑚海海戦第二次ソロモン海戦南太平洋海戦などで活躍したが1944年(昭和19年)10月25日エンガノ岬沖海戦で沈没した。瑞鶴はマリアナ沖海戦まで一発も被弾しなかった幸運艦であった。

 艦名の「瑞」はめでたいという意味。「」は日本において長寿の象徴とされており、縁起の良い鳥獣の一種である。

 
エンガノ岬沖で断末魔の瑞鶴。
生き残りの総員、傾斜した飛行甲板に整列している。
艦橋の貝塚艦長、最後の訓示――
「皆よく聞け。本艦は既に撃つべき弾も撃ち尽くた。エンジンも舵もストップしている。もはや思い残すことはない。皆は最後の最後まで生き残り、御国のために戦ってくれ。艦長は陛下からお預かりした本艦と運命を共にする。ここに総員退艦を令する。」
「軍艦旗降ろし方!」
夕陽の中に響き渡る喨々たるラッパの響き。焼け焦げた戦闘旗がするすると降ろされていく。滂沱たる涙を拭おうともせず、敬礼を送る乗員達・・・・。
1940年(昭和15年)12月27日、航空母艦「瑞鳳」として竣工。
太平洋戦争では、ミッドウェー海戦における主力空母四隻の喪失後に貴重な空母戦力として大型正規空母に伍して活躍。南太平洋海戦マリアナ沖海戦、危険が多い硫黄島周辺海域での索敵などを歴戦した。日本機動部隊最後の戦いとなったレイテ沖海戦では囮役である小沢機動艦隊の一翼として参加し、エンガノ岬沖で敵航空機の攻撃により魚雷2発、爆弾4発を受け午後3時26分に沈没した。駆逐艦」に艦長以下847名、戦艦伊勢」に98名が救助された。
(以上、写真共々検索からお借りしました。)

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