2011年10月5日水曜日

大東亜戦争 肯定論

 

 おのれの思想信条も遷り行く年月に従い、変容するのも当然のこと。ただ、一概に90度 180度に変換するとかの単純なものではなくして幾多のプロセスがあって、右左との区分では計り知れない もっと複雑かつ深遠な心情(信条ではなくして)に達するのかも知れませんね。

 この小説家 林房夫の「大東亜戦争肯定論」となると、当時は勿論一瞥して切り捨てましたよ。あれから今日まで、時代が変容して来たのか、おのれが変容したのか、その両方なのか、これも詳しくは知らないにせよ、すべてが変わって来たもんだ、との感慨に耽って、左右に捕われない論にもキチンと対応出来る迄、守備範囲が広くなっている己れを意識出来るようになっている次第ですよ。

 従って、上記の論点についても、相手の論旨を丸ごと納得する(しない)とはならず、成る程、この論法もあったかと、とりあえず聞き取らせて頂く・・・そのようなソフトな受け取り方をしている・・・つまり、かっての自分を超えて、違った立場からの態度を無意識のうちに取れるようになっている---これがホントのところでしょう。

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