2012年4月15日日曜日

あの頃の4月

   航空母艦ホーネット

 
  ノースアメリカン B-25

 ドーリットル空襲(ドーリットルくうしゅう、英語:Doolittle Raid)、
 ドゥリットル空襲とは、第二次世界大戦中の1942年4月18日アメリカ軍が、航空母艦ホーネットに搭載した
陸軍の爆撃機によって行った日本本土に対する初めての空襲である。
 なお作戦遂行において中華民国軍の支援を受けた。
 名称は空襲の指揮官であったジミー・ドーリットル中佐に由来する。

 昭和天皇は杉山元総参謀長の横槍を退けて東久邇宮稔彦王防衛総司令官に真相を天皇に直接報告するよう命じ、
東久邇宮は「敵機は一機も撃墜できませんでした。また今のような体制では国内防衛は不可能です」と答申する。

 しかし大本営はドーリットル空襲で受けた被害を隠蔽し「わが空地上両航空部隊の反撃を受け、逐次退散中なり」
「敵機9機を撃墜。損害軽微」と発表した。

 中部軍に至っては、空襲直後に「東京防空隊ノ撃墜セシ機数7」を報告している。
 しかし当日は晴天であり、墜落した航空機など市民からは一機も確認されなかった。

 このため、大本営の発表に対し『皇軍は空機(9機と空気をかけた駄洒落)を撃墜したのだ』
と揶揄するものもいた。
 そのため日本陸軍は中国に不時着したB-25の残骸を回収し、4月25日から靖国神社で展示して、国民の疑念を
晴らそうとした。

 4月26日の朝日新聞は『まさしく大東亜戦下の靖国神社臨時大祭にふさわしい景観』と評している。
 陸軍報道部は「指揮官はドゥ・リトルだが、実際(被害)はドゥ・ナッシング」と発表した。
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 私共は当時 東京の国民学校の〇〇君が そこでの攻撃で、撃たれて死亡した、との事で〇〇君のカタキを
討とう、と、そんな趣旨で作文を書かされた記憶があります〜。

 とにかく、当日は、日本軍の新型爆撃機が飛んで来た〜〜との事で、旗持って表に出てみんなでバンザイをした〜
とか、それに類するエピソードが、ホント ウソ、を混合して随分と出ましたね。

それとは別に、このような爆撃機が航空母艦に載せられている----と、これが私にとっては驚きでしたよ。
 日本の航空母艦では、これに類する事例は聞いた事がありませんでしたね。

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