2012年9月25日火曜日
あの頃の9月--- 東条大将
東条英機の自殺未遂---。東条大将の自殺未遂については世論が沸騰しました。
「昭和20年9月11日、連合国総司令部は戦争犯罪人容疑者の逮捕にのりだした。東条英機元首相は、逮捕される直前、ピストル自殺をはかったが、米軍の手厚い看護によって一命を取り留めた。
この日の午後四時、東京都世田谷区用賀町の自宅を訪ねた連合国側官憲が窓越しに東条大将を拘引に来た旨を述べた。
東条は笑って『只今行きますから暫く待って下さい』と通訳を通じて挨拶し、窓から錠を下ろしてソフアーに腰を下ろしたが、その時、ピストルの音が内部に聞こえた。米官憲は外から錠の下りた扉を叩き破り『窓をこはして入れ』などと怒鳴り威嚇的に銃を持ちつつ室内に入った。東条大将は予て覚悟の自決をはかってゐたのである。椅子にもたれたまま白の開襟シャツを着た上から左腹部に拳銃を撃ち込み、すでに息も絶え絶えであった。午後四時15分であった。
(以上朝日新聞9月12日)
この自殺未遂に対する国内の反応は冷ややかでした。
高見順は「敗戦日記」のなかに、次のように記しています。
「期するところがあって今まで自決しなかったのならば、なぜ忍び難きを忍んで連行されなかったのだろう。(中略)生きていたくらいなら裁判に立って所信を述べるべきだ。
また山田風太郎も「戦中派不戦日記」のなかに、「なぜ東条大将は阿南陸相のごとくいさぎよく死ななかったのか。(中略)逮捕状が出ることは明白なのに、今までみれんげに生きていて、外国人のようにピストルを使って、そして死に損なっている。日本人は苦い笑いを浮かべずにいられない」と書いています。
東条大将は腹の皮を思い切って引っぱり上げ、その横からピストルで穴を開けただけであった---この説が私共のまわりで言いふらされていたウワサでした。
--------- 以上は、私の「新聞切り抜き帳」 から。
いずれにせよ、東条大将は戦争裁判によって死刑の判決を受け、結果的には同じ運命を辿った、とも云えるでしょう。
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