載せたのは、大東亜戦争「太平洋戦争」での戦闘が行なわれた範囲を示す地図です。
つまり、12月8日の開戦範囲が既にこうであった、と、それを知っておく必要があると云う事でしょうか。
それにしても、勝った勝ったと狂喜乱舞の底には、やがて、これだけの占領地をキープしておく、それだけでも大変な負担が生じたと云う事もあったでしょうね。
戦争の行き詰まりは、まず ニューギニアの東の端あたり、ガダルカナルが挙げられるでしょうか。あの戦いは「ガ島(餓島)」の戦いとして、現在に至るも いろんな資料をもとに論じられているのではありませんか。
もう一つは、ビルマ方面の更なる西、インドに近い インパール作戦、これまた作戦の拙さから、途方もない損害を被る結果になった戦いでしたよ。
その両方の作戦共々、当初の頃は、華々しい戦果あり、として大きく知らされたのを覚えているものの、戦争も半ばにしてピタリと発表が閉ざされてしまったので、どうなっているものやらと不審の気持ちを抱いて、そのまま、終戦を迎え、その後、改めて無惨なる敗北の有様を知らされて愕然とした敗北の戦闘地でした。
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