2013年6月12日水曜日

サイタ サイタ〜


“ サイタ サイタ サクラ ガ サイタ ” etc-----------。
小学校一年生で 最初に教わった国語からです(資料から お借りしました)。

戦争は、二年生の時からですから、この文章は、多分 私共でオワリになった(正確では ないかも知れませんが)と思いますが〜。
 ただ、これを見たからと云っても、特別に、懐かしさは感じませんね。

「小学校」は、翌年あたりから「国民学校」の名称に変わり、それも又懐かしい筈ですが、それもまた、それ程のノスタルジアは感じないような気もします。

 別途、私が回顧の念に捕らわれるとしたら、皮製のランドセルが、プレスした紙製となった事で、それがイヤなばかりに大袈裟に泣きわめいた、と、そんなのがありますね。
いくらプレスした紙、と云っても、見かけはさておいて、ごわごわしていて、確かに見栄えも悪ければ、使い勝手も悪かったのですよ。

 加えて、戦争が日常生活に迄 忍び込んで来たのは、敗色濃厚となった小学校後半の頃からだったでしょうか------それらとなると、 今に至るも記憶にギッシリ詰め込まれているようで、一生忘れる事はないでしょう。

 終戦は六年生の時、その日の事は、ともあれ〜今でも正確に、それも はっきりと覚えていますよ。

 ただ、申せば、私の住む 山形市は、全くのところ、爆撃も受けず、戦争では無傷で終わった稀有な県庁所在地だったでしょうね。
 町並みを初めとして、ノスタルジアを感じさせない程に、いろいろと残ったのは当然でした。

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