2014年11月17日月曜日

たかが マウス〜




『たかがマウスされどマウス』------ テな事が、 口から出たりして〜。

つまり、マウスのカバーの凸面に結構 いろんな画像が いつであれ 貼り付いて?〜いて、
それが まあ〜 こちらの手の動きに応じて、常に動くわけですから〜 その時に応じて、
己れのツラが メニャ〜と出て来たりして------。

------となると、メニャ〜と出る分、己れのツラがまことバカヅラと相成るわけでござい
ますヨ!。
まあ〜もともとバカでござんすから〜とか悟りを開いている御仁ならいざ知らず、
未だ、浮き世に未練を持つ御仁となれば、それはそれ、バカヅラから逃れるスベは
完全にゼロでございますでしょうよ。

それが口惜しくて華厳の滝に飛び込みたくなるもんだ、と、これは、滝壺の中から
未だに聞こえて来る 「巌頭之感」を見れば判る通りでございますので。

    巌 頭 之 感


悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。
藤村操 
(明治36年5月22日)

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