先生が黒板に書かれたこの詩を 咳ひとつ しないで書き写したのは、遠い遠い小学校六年生の時でしたね。
戦争も終わりに近づいて来た頃、今頃だったでしょうか。
その時の、セキ一つしないで書き写した記憶は、未だはっきりと残っていますよ。
一
ジャングルに深くこもれば
雨は夜ゝ肌(はだ)へを洗ひ
壕内に日々を送りて
敵弾を常に浴びつつ
いつの日に友軍機飛び
糧来るや、われらは知らず
されどただわれらは信ず
われらは勝つと
二
幾日ぞ弾丸(たま)を撃たざる
幾日ぞ米を食はざる
屋根なせる「星」の翼に ※「星」は星条旗を表す
ジャングルに木のかげは失せ
嵐なす敵の弾丸に
つぎつぎに友はたふれぬ
されどなほわれは信ず
われらは勝つと
三
みかへればやせさらばえて
肉そげし ほほよ 腕(かいな)よ
よし弾丸は免(まぬか)れ得とも
長くよし 生きてあるまじ
友軍機いまだ飛ばざる
糧秣(りょうまつ)も遂に来たらず
しかも尚われらは信ず
御国(みくに)は勝つと
-------------------------------------------------「粥」
ここにして これあり
これぞ この米のかゆ
はろばろと数千里
よよあし原みづほの国のみたからだ
ひととせを汗にまみれて
磨き上げたる 真珠宝石
わだつみの逆巻く潮を
のりきりて
いのちに代へて海軍さんの
護り来し神のたまもの
敵機の下をころびて
雨なすたまの中はひつ
汲みたる水を 飯盒にいれ
爆撃ごとに火を消して
去りては又焚きつけ
つとめて煙出さぬごとく
ねじり鉢巻して焚き上げたる
この味は二つなし
いささかの塩っぱい海水に
とぎしたのも
(わが涙までまじりしならじ)
いざ喰らへ
わが戦友(とも)よ
喰はで死にし
わが戦友(とも)よ
これぞこの米の粥ぞ
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