2011年5月2日月曜日

「我は信ず」吉田嘉七

 
 先生が黒板に書かれたこの詩を 咳ひとつ しないで書き写したのは、遠い遠い小学校六年生の時でしたね。
 戦争も終わりに近づいて来た頃、今頃だったでしょうか。
その時の、セキ一つしないで書き写した記憶は、未だはっきりと残っていますよ。

 一
 ジャングルに深くこもれば
 雨は夜ゝ肌(はだ)へを洗ひ
 壕内に日々を送りて
 敵弾を常に浴びつつ
 いつの日に友軍機飛び
 糧来るや、われらは知らず
 されどただわれらは信ず
  われらは勝つと

 二

 幾日ぞ弾丸(たま)を撃たざる
 幾日ぞ米を食はざる
 屋根なせる「星」の翼に   ※「星」は星条旗を表す
 ジャングルに木のかげは失せ
 嵐なす敵の弾丸に
 つぎつぎに友はたふれぬ
 されどなほわれは信ず
 われらは勝つと

 三  
 みかへればやせさらばえて 
 肉そげし ほほよ 腕(かいな)よ
 よし弾丸は免(まぬか)れ得とも
 長くよし 生きてあるまじ
 友軍機いまだ飛ばざる
 糧秣(りょうまつ)も遂に来たらず
 しかも尚われらは信ず
 御国(みくに)は勝つと

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 「粥」

 ここにして これあり
 これぞ この米のかゆ
 はろばろと数千里
 よよあし原みづほの国のみたからだ
 ひととせを汗にまみれて
 磨き上げたる 真珠宝石
 わだつみの逆巻く潮を
 のりきりて
 いのちに代へて海軍さんの
 護り来し神のたまもの
 敵機の下をころびて
 雨なすたまの中はひつ
 汲みたる水を 飯盒にいれ
 爆撃ごとに火を消して
 去りては又焚きつけ
 つとめて煙出さぬごとく
 ねじり鉢巻して焚き上げたる
 この味は二つなし
 いささかの塩っぱい海水に
 とぎしたのも
 (わが涙までまじりしならじ)
 いざ喰らへ
 わが戦友(とも)よ
 喰はで死にし
 わが戦友(とも)よ
 これぞこの米の粥ぞ


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