2011年2月28日月曜日

昭和20年1月1日の御前会議

 当時の新聞切り抜きからですが。

 
 この時の御前会議は、多分に形式的な会議だったと思われるものの、相当に深刻な雰囲気に包まれていたと思われますね。
 サイパン陥落のあと東条内閣が辞職し、東京空襲が始まり、戦局は誰がみても、回復が不可能と映じた頃、2月には もうヤルタ会談が始まるのですよ。

 ------------- どうするか、どうすればよいのか、列席者全員の脳裏には その思いがよぎった筈です。
 誰もが陛下の方には向かず、発言も殆ど無し。形式的な会議である事をヨシとして、終了を待ったと思いますね。

 このような会議では「会議録」なるものは保全されていないものでしょうか?〜〜まあ、それがあったとしても終戦と同時に廃棄されたとすれば何をか況や、ですが。

 但し、敵は、終戦に至る迄、これらの宮城(皇居)内の建物等については爆撃をしていませんでしたね。---------確かそうでしたよ。それには敵には敵なりの考えがあったのでしょう。

 いずれにせよ、天皇の お住まい は、いずれ戦局の推移によって、確か八王子のどこかの地下御殿に移転される筈だった とは聞き及んでいましたが?。

 皇居から八王子迄は、御承知の通り、道路は殆ど一直線。そんな事を想定して、当時から、前もって一直線に通してあるのだとも聞きましたが。
 勿論 電車も同じ、新宿から八王子となると殆ど一直線です。従って電車利用も当然ながら選択肢には入っていたででしょう。

散歩道から

 
 雨のそぼ降る冷たい散歩、人一人っ子いませんね。

 
 向こうに見える給水塔も雨に霞んでいました。

 
 右に曲がれば早々に家に戻れるのに、毎日のコースが “ まる“ の脳に刻まれているのでしょうか。いつもの通り、キチンと左に曲がりましたね。

植物人間


 生物となると、動物、植物、この2種類ですよね。
 その中間が何故存在しないのでしょうか。尤も、細菌の類には、どちらがどうの、と識別が不可能なのがありますが。
 それにしても、細菌レベルで可能だったわけですから動物植物に至る迄の、その途中に存在してもいいと思うのですよ。
 となると知能ゼロの動物、知能保持の植物、これ等が出現する、となって面白くなると思いませんか?。

 ただ、強いて申せば、架空物語「ウルトラセブン」に出て来る「生物X ワイアール星人」これが存在するとか。
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 突然変異により星全体が植物で覆われたワイアール星の出身で、全身が緑色の蔦のようなもので構成されている宇宙人。
 高度な知能を備えており、地球人を自分と同じ植物人間にして地球を支配する為に来た。
 宇宙ステーションV3の石黒を「チルソナイト808」という金属塊の中に閉じ込め、彼に化けて地球に侵入した。
 ------------ 以下略。

 ただ、拝見した限りでは オドロオドロし過ぎて、ちょっと夢に欠けるキライがありますね。

兵馬俑

 
 
 兵馬俑(へいばよう)は、本来は古代中国で死者を埋葬する際に副葬された俑のうち、兵士及び馬をかたどったものを指す。現在では、陝西省にある秦の始皇帝の陵墓の周辺に埋納されたもののみをさすことが多い。ここでは、世界的に著名な始皇帝のそれについて記す。秦の始皇帝陵の一部として1987年、世界遺産(文化遺産)に登録されている。

 この大文物群が発掘され調査が行われると、人々を驚かせるような事実が次々に明らかとなった。
例えば、これらの兵士の俑にはどれ一つとして同じ顔をしたものはないことや、秦の軍隊がさまざまな民族の混成部隊であったこと及びかつての秦の敵国が存在した東方を向いて置かれていたこと等である。
また、この文物により、当時の秦軍の装備や編成等、これまでは文献史料のみでしか伝えられていなかったものが、こうして実物大のものとして現代に生きる我々の目の前に登場したことは非常に大きい意義がある。
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 これも凄いですよ。もし、一体だけ作れとなったら、誰にでも作れるのかもね。然し、これだけの量となると、単に人を集めれば出来ると云う範囲ではありませんよ。
 目的から始まって、訓練、中には脱落、補充 etc いろいろ出て来て とても出来上がるとは思えませんね。

 中国の偉大さに最敬礼!です。

ストーンヘンジ

 
 
 別に、こと新しい事でもありませんが。

 円陣状に並んだ直立巨石とそれを囲む土塁からなり、世界で最も有名な先史時代の遺跡である。考古学者はこの直立巨石が紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられたと考えている。しかしそれを囲む土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るという。
 馬蹄形に配置された高さ7mほどの巨大な門の形の組石(トリリトン)5組を中心に、直径約100mの円形に高さ4-5mの30個の立石(メンヒル)が配置されている。夏至の日に、ヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、中心にある祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇ることから、設計者には天文学の高い知識があったのではないかと考えられている。また、当時としては高度な技術が使われており、倒れないよう安定させるため石と石の間には凹凸がある。
遺跡の目的については、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられているが、未だ結論はでていない。
 この遺跡とその周辺は、30kmほど離れたエーヴベリーの遺跡群とあわせストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群として1986年にユネスコの世界遺産に加えられた。また、登録古代モニュメントとして法的に保護されている。ストーンヘンジ自体は英国の国家遺産として保有・管理されている。周辺はナショナル・トラストが保有している。
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 こんな重い石材を、どうやって運んだのか、どうやって組み立てたのか------ そのへんとなると、とても当時の人間ワザでは不可能にしか思えません。

 実際、どんな手段を講じて、これ等の石を集め、運び、立てて、そして上に載せたのか、見当がつきませんね。
 地面に立っている人間と大きさを比べてみなさいな。まさに驚くほかありません。それも、ざっと5.000年前ですよ。
 ともあれ、当時は、現在とは全く違った大きな地上条件があった-----------と、考えざるを得ませんが、そうかと云って、それは何だったのか?と問われても答えようもありませんし------。

 もしかしたら、当時の人間は背丈が10メートル以上もあったとか??〜〜なんちゃって++++++。

2011年2月27日日曜日

怖かった人間

 子供の怖かった人間となると下記の人物などでしたね。

 
 女衒(ぜげん)
 意味も分からず、その言葉の響きが怖かったですね。“ ゼゲン ” ですからねえ〜〜。

 マント姿の怪人-------これは、変身能力?があった感じでした。

   
 人さらい

  ---------------- 諸兄姉は いかがでしたか?。

二二六事件

 
 
 
 
「反乱軍 」1400人、重臣らを襲撃殺害
1936(昭和11)年2月26日未明から陸軍青年将校が率いた兵士約1400人が首相官邸など約8カ所を襲撃した。斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監が殺害され、鈴木貫太郎侍従長重傷。岡田啓介首相は無事だった。朝日新聞も襲撃された。
 将校らは陸軍省など首都中心部を占拠し、陸軍首脳と「昭和維新」実現に向けて交渉。だが昭和天皇の怒りは強く、東京に27日戒厳令が施行され部隊は反乱軍とみなされた。鎮圧軍との衝突寸前で、青年将校は29日に投降。
 特設軍法会議は同年7月5日、反乱罪で17人に死刑判決を下し、1週間後、うち15人に銃殺刑執行。翌年8月「将校を煽動(せんどう)した」とされた思想家・北一輝らが処刑された。
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  世の中は、このあたりから おかしくなって行ったのでしょうね。その頃の昨日がその日でした。
  当日は雪の東京だったのですよね。
  残念ながら、この頃は、この私も三歳児の頃でした。
  ------------ 写真下は記念碑

春近し

 

 

 
 広大な??我が家の庭にも、やがて、間違いなく春がやって来るような気配でした。

お雛様

 
 
 思えば、昔々の我が家には八段飾りの立派なお雛様がありましてね、子供の頃から、それを飾るのが何よりの楽しみにしていましたよ。

 それはそれとして---------終戦も間もなくの頃、その日が来ても母親は少しも その気にならず黙っているだけ--------。
 聞きただしたところ、その お雛様は、とっくに我々の胃袋に入ってしまっているとの返事でしたよ。
 ??----------つまり、ヤミ米を買うのにカネも無く、やむを得ず お雛様を放出して その代金に当てた、との事でしたよ。
 一瞬、世界がグルグルと廻りましたよ。

 然しなあ〜母親の有り難さをこの時程感じた事はありませんでした。
 その母親も、この世から去って何年になるのか、いかにも遠い遠い昔の出来事〜。

 この世には、これと似た例はワンさとあるのではありませんか?。

人類の進歩

 
 
 検索から お借りした図ですが、左半分は よく見かける人類の進化による進歩を表現している反面、右半分は、未来の人類の姿--------つまり、アタマの方はさておいて、スタイル及びポーズとしては、原始の姿に戻る、と、それを揶揄した絵のようですね。
 よく出来た作として載せさせて頂きました。

窓からの眺め

 
 
 今日は見事な青空で、久しぶりに気温も戻って来た感じです。
 ここの景色も従来と変わりませんが、変わって来たとすれば、各家にパラボラアンテナが増えて来ているとの変化かな。
 クルマの方には変化があるのか正確な記憶はないのですが、前にも書いたかどうか、最近のクルマには箱形が多い--------これがありますね。スタイルよりは実用度、そこにポイントを置いてあるとの理由からでしょう。

 --------- いずれにせよ、ホント、青空が眩しく感じられる今日ですね。

戦艦大和の絵-3

 改めて今朝の新聞記事を読み返してみると、この方はイメージをフルに生かして、戦艦大和のみならず、多くの船舶をあらゆる角度から描き上げた--------とあります。

 もう、それだけで最敬礼を致しました。

戦艦大和の絵-2

 
   

 

 この絵を描いたのは、中学時代の頃。

 参考にしたのは、この方の大家である「小松崎 茂」画家です。

 厄介だったのは、彼は左利きだったと思うので、描き易いように右走りの絵が多い事でした。この絵も戦艦大和は右方向に走っていますよね。

 とにかく左利きの場合は、波とか雲や、旗の はためき、それらが右から左へ流れて行く構図が得意なのですよ。当然ながら右利きの場合は逆に左から右へ流れる絵が描き易い となります。

 参考までに 、このPCで、左右をひっくり返した絵も載せてみました。

 こうなると右利きには、右のように、波や旗の流れが左から右へ・・・この流れの絵が描き易い、となります。

戦艦大和の絵


 
 今朝の新聞(朝日)に載っていた戦艦大和の絵です。

 戦艦大和の絵となると、この絵のように、空から前方下の方に大和を見る------つまり俯瞰する、と、確かに、その角度からでの作品が多いような気がするのですが?-------。
 然し、実際を考えてみるに、大和の乗務兵は勿論、接岸されている時での外部人間の視線、それら圧倒的多数の者にとっては、その殆どが俯瞰しての視線ではなく、仰ぎ見る視線、これが大半だったと思われるのですよ。

 仰ぎ見る視線であればこそ、その大和の巨大さが実感として湧いて来たと思うのですが、空から下を見る視線(俯瞰)では、操縦に忙しい飛行機の操縦兵か、射撃手、そんなところで、安閑として眺められる立場の者ではありませんね。勿論スケッチなどは論外でしょう。写真は当然ながら可能ですが。
 それは別としても、俯瞰する視線からでは圧倒される感じは全く出ません。畳の部屋でオモチャの戦艦大和を弄くりまくっている程度の安っぽい?印象が残るだけですよ。

 然し、不思議なのは、この絵の作者は、かって “ 僚艦から見た大和 “ としてあります。
 ------- そうだとすると、俯瞰も仰瞰も不可能で平行線に近い角度となります。残念ながら、その視点からでは、この絵は生まれません。この絵は間違いなく俯瞰からの大和の絵です。

 いかがでしょうか?。

散歩道から

 
 
 朝一番の散歩道からです。
 この子達の母親を含めて、そこの家庭の事情が、何となく わかるようなニオイ?が感じ取られましたね。

台湾の新幹線

 
 
 中国のほか台湾でも新幹線が走っているとの事で、検索してみたら、日本でも馴染みだったようなスタイルでしたね。

2011年2月26日土曜日

散歩道から

 
  定番の “ 給水塔 ”

  
 これも定番で---------- 放置されたままの畑

上の写真からも含めてホントこの草の生えた畑-----なんとか他に利用出来ないもんでしょうかね。 

池袋

 
 
 池袋は、新宿渋谷と並ぶ山の手3大副都心の一つ。駅を中心に巨大な百貨店や専門店が集中し、飲食店などがひしめく。池袋駅の一日平均乗降者数は約271万人(2007年度)。繁華街は東西に広がり、北には大規模な歓楽街がある。1日に約100万人の集客人員がある。この街の事を若者を中心に「ブクロ」と略して呼称されることもある。中国人が比較的多く居住しており、「中国城」と称されることもある[1]
 東口方面には西武百貨店サンシャイン60・女性向けオタクストリート乙女ロード豊島区役所等があり、西口方面には東武百貨店東京芸術劇場等がある。
 8路線からなる巨大な鉄道ターミナルが形成されており、各地から種々雑多な膨大な人が集散する。特に西武池袋線東武東上線JR埼京線湘南新宿ライン等を利用する東京都西部、埼玉県南・西部の住民が多い。
 中心部から少し離れると、立教大学帝京平成大学、重要文化財に指定されているフランク・ロイド・ライト設計の自由学園明日館、多くの著名人が眠る雑司ヶ谷霊園などの緑や文化財も多く、池袋演芸場などの寄席や小劇場もある。
 駅や街の至る所にある「いけふくろう」像は、「渋谷のハチ公に対して、池袋にも待ち合わせのメッカを」ということで、"いけぶくろ"と"フクロウ"を掛け合わせて考え出されたものである。特に、東口のものはJR発足時に設置されたものである。
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 この池袋から30分も電車に乗ると、下記のような、それこそ日本ならでの昔からの動かぬ “ 超空間的 ” な原風景が見られる と云う次第。
 この、時空を超えたような景色は、池袋のみならず新宿 渋谷 etc 共々同じでしょう。

散歩道から

 
 
 いつもの散歩道からですが、このような農家への道は このへんでは良く見かける普通の景色ですね。
 然し、考えてみるに、何度か書きましたが、このへんは 大都会 東京 池袋に まあ〜30分の距離 ですよ。
 地域の眺めがズレていると云うよりは、文字通り過去と現在が混在している時空を越えた “ 超空間 ” のような気がする時もあります。
 超空間であるだけに、この眺めは更に次元を超えて未来永劫に変わらないのではありませんか?。

中国の新幹線

 
 
 中国高速鉄道CRH2型電車(ちゅうごくこうそくてつどうCRH2がたでんしゃ)とは、中華人民共和国鉄道部(中国国鉄)が第6次在来線スピードアップのために日本川崎重工業車両カンパニーから購入した高速鉄道車両である。 日本のE2系1000番台新幹線電車がベースになっている。新幹線車両の日本国外への輸出は、台湾高速鉄道700T型に次ぐものである。愛称は子弾頭(子弾=弾丸の意)。なお、全てのCRH車両は「和諧号」(和諧=調和の意)と呼ばれている。
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 中国でも新幹線が走っているのを検索 wikipedia で知りました。尤も、日本製との事ですから形状が似ているのは当然ですね。

地震波

 
 

 地震は、断層と呼ばれる地下の岩盤のずれが生じることで発生する。断層のずれによって生じた振動は、地面を媒質とした地震波)となって地中を伝わり、人間が生活している地表でも振動(地震動)が引き起こされる。 断層はふつう、地下数km~数十kmの深さにあり、地震によって生じた伸縮の歪みは地下で完結し、地表までは達しないことが多い。しかし、大きな地震の時には地表地震断層とよばれる段差が地表にも現れることがある。
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 地震は、断層と呼ばれる地下の岩盤のずれが生じることで発生する------------それは理解出来るとして、そのズレと時間との関係が理解出来ませんね。
 場合によっては、P波S波も無しに、いきなりズレが生じる時もあるだろうし、又、いきなりではなく時間をかけてゆっくり始まり、その途中で急激にズレる、とか、更に、その逆とかのケースも有りや否やとも思いますよ。
 又、最初のP波S波での兆候を示さず、最初はゆっくりで、途中から急に落ち込む、とか、その逆とか、パターンは無限に?生じるのではありませんか?。場合によっては、半日がかりでズレを生じさせたり、一日がかりだったり、と、そんな事例もあって然るべきのようにも思えるのですよ。長い時は数日がかり、とか云う場合も想定出来るような気がしますなあ〜〜。
 然し、現実はそうではありませんね。
 まあ〜理解不足な輩ですが、その程度が一般的思考のレベルかな、とも思いましたので。

職人魂

 
 

 
 ピアノのカバーをクリーニングに出したので、天井とかカーテン、時計などがピアノの背に綺麗に写りました。
 ----------- ほんとに、普段は見られない景色が写りましたね。

 それにしても、ピアノの背の見事な迄の「平面精度」、これには驚きましたよ。
 ともあれ、完全なる「鏡面!」に仕上がっているので写っている像に乱れが全くありません。。精度に僅かの狂いがあれば、写る景色が歪むもの、然し、ここでは、その狂いは完全にゼロです。

 その平面精度はピアノの性能には関係ないわけですから、ボデイ等の仕上げ精度は本来は論外ですよね。
 然し、そこに至るまで手を抜かないとの職人根性があるのでしょうね。

 日本製品に潜む したたかな職人根性、それこそ見事な職人魂!ですよ。

2011年2月25日金曜日

鳳凰-2

鳳凰(ほうおう、Fènghuáng)は、中国神話の伝説の、霊鳥である。鳳皇とも。日本や朝鮮など東アジア全域にわたって装飾やシンボルや物語・説話・説教などで登場する。を指し、「本草綱目」によれば羽ある生物の王であるとされる。聖天子の出現を待ってこの世に現れるといわれる瑞獣 (瑞鳥) のひとつで、『礼記』では麒麟霊亀応竜とともに「四霊」と総称されている。
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 以上 WIkipediaより。
 いずれにしても、その外観は冴えませんね。

鳳凰

 
 
 この鳳凰を見ると時折思うのですが、この鳥、もう少し何とかなりませんかな。
 実在しない鳥なわけですから、いかようにもデザインが可能だと思うのですよ。

 ともあれ、まあ〜鳥は鳥でも「借金トリ(取り-鳥)」くらいの面構えですなア〜〜。

時計の写真

 
 
 このような写真では、写すモノは別として、写す場所?が問題でしょう。
 時計は三級品?ですが置いた場所がいいだけに実に映えていますね。

 この場所はどこかって?-----------カバーをクリーニングに出したピアノの上です。

山形市役所

 
 

 
 別に珍しい建物でもありませんが、これは山形市役所の新旧の姿です。
 私の脳裏に刻まれてある姿は当然ながら上の写真ですが、何の用件があってか数度は行っていますね。

 これら現代の建造物への変貌を目にするにつけ気になるのは、住人達の新旧-------と云うより意識の推移、とでも云うのか---------つまり、現在の市民は ------- 〜何と云うのかなあ〜〜変な意味ではないのですが、その多くが “東京人もどき”??に変質してしまっているのではないか、それを感じるのですか?。

 すべてが能率本意、すべてが東京倣い、すべてが東京の真似-------ともあれ、その土台から脱却して、逆に時代を遡り、山形オリジナルの建造物にして、それを国中に発信しては いかがであろうか、と申し上げたい次第ですが。

 市役所は、明治大正時代を 更に更に遡り、大昔 ?のスタイルにして、茅葺き屋根 の二階屋を何戸か並べて作ってもよろしいのではないか、と、それがここでの主張の原点です。それがオリジナルと呼ぶべき発想ですよ。

 極端な言い草?かも知れませんが、ここでは 、それが どうして建たないのか?、と、そんな思いに駆られる時もあると云う事ですよ。

山市役所

昔の我が家

 
 
 現在地から数分の距離にある昔の我が家です。現在は空き家のようですね。
 高校を卒業し、やがて上京したのはいいとして、当然ながら、学生時代を含めて長い間、下宿やら間借りの生活が続きましたね。

 それが------- やがて社会人となり、この地に、初めて自宅を建てたのは何年前になるものやら--------- それこそが この家で、外装が変わっているとは云え、当時の そのままです。

 当時は二階から遠く富士山が見えていたので、家内の兄やらを迎えて、何度か酒盛りをしましたね。
 
 その後、手狭になったので、やや離れた場所に現在の家を建てたわけですが、現在は現在として、やはり かっての家も、それなりに、見つめて来ましたよ。

 残念な事があるとしたら、この家が、長い間空き家のままであること-------でしょうか。
 現在では、もう狭過ぎるのかなあ〜〜。

 前面にも家が建ち、あの富士山の遠望も見えなくなってしまったのかも。但し、それは現在の我が家にも云える事なのですがね〜。

 これに似たような感慨は、モノ は違っても、多分誰にでも持ち合わせがあるのではありませんか。

散歩道から

 
 

 

 このあたりを散歩しての感興ですが、とにかく人通りが少ない--------これが第一でしょうか。
 次は、子供等がオモテで遊んでいる光景は殆ど見かけない、これもあります。

 いい点としては、とにかくキレイであって、道路に何かが落ちている事は皆無ですね。
 加えて静かで、無人か?とか思える程あたり一面静かです。
 クルマなどもあまり見かけませんなあ〜〜。

 とにかく、建て混んでいないので、ザワザワした雰囲気はありません。
 家並が密集していないと云う事は、反面 人口密度が低い事でもあり、その分、夜などは怖い感じがしますよ。

 家並を抜けると、そこには原っぱやら雑木林が出て来るわけですから、住宅街としては未成熟な反面、それであればこその自然の姿が目に入ります。
 将来、ここが都心の住宅街のように混建て込んで混雑するようになるか------それは全く考えられませんね。

 マイナス点は何か?-----------それは、何事につけ歩かなければ用が足せない事。但し、反面それは人間にとってプラスでもあります。
 人間たるもの歩かなければオシマイ!ですよ。

 まあ〜〜大東京の外郭地帯ですから、良くも悪くも どちらでも、云う事は云える------つまりプラスマイナスでゼロの地域でしょうか。