1936(昭和11)年2月26日未明から陸軍青年将校が率いた兵士約1400人が首相官邸など約8カ所を襲撃した。斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監が殺害され、鈴木貫太郎侍従長重傷。岡田啓介首相は無事だった。朝日新聞も襲撃された。
将校らは陸軍省など首都中心部を占拠し、陸軍首脳と「昭和維新」実現に向けて交渉。だが昭和天皇の怒りは強く、東京に27日戒厳令が施行され部隊は反乱軍とみなされた。鎮圧軍との衝突寸前で、青年将校は29日に投降。
特設軍法会議は同年7月5日、反乱罪で17人に死刑判決を下し、1週間後、うち15人に銃殺刑執行。翌年8月「将校を煽動(せんどう)した」とされた思想家・北一輝らが処刑された。
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世の中は、このあたりから おかしくなって行ったのでしょうね。その頃の昨日がその日でした。
当日は雪の東京だったのですよね。
残念ながら、この頃は、この私も三歳児の頃でした。
------------ 写真下は記念碑
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