2013年7月31日水曜日

王将 玉将


将棋には「王将」と「玉将」があって、そのいずれもが全く同じとされてあって、それで何の不都合もないのですが、全く同じでは何の感興も湧きませんので、この際ですから、
思い切って「王将」「悪将」としてはいかがでしょうか。

その どちらが勝っても負けても、実際の人間の歴史に於てすら、それが結構存在していたわけですから不都合は別に無いとも思いますよ。

まあ〜上座が「王将」で、下座が「悪将」、そうしておけば格好がつくと思いますね。
いずれにせよ、そのどちらであれ、勝負となったら俄然 張り切るのではないか、と思いますが?〜。

ガダルカナルの詩


以前載せた詩文ですが、もう一度載せてみましたので〜。

ガダルカナルでの戦闘は文字どおりの地獄の闘いでした。半年近く続いた闘いは昭和18年2月日本軍の全面撤退で幕を閉じました。但し、まだ戦争中期の頃だったので、新聞切り抜きはありません。


ここにして これあり
これぞ この米のかゆ
はろばろと数千里
よよあし原みづほの国のみたからだ

ひととせを汗にまみれて
磨き上げたる 真珠宝石
わだつみの逆巻く潮を
のりきりて
いのちに代へて海軍さんの
護り来し神のたまもの



敵機の下をころびて
雨なすたまの中はひつ
汲みたる水を 飯盒にいれ
爆撃ごとに火を消して
去りては又焚きつけ
つとめて煙出さぬごとく
ねじり鉢巻して焚き上げたる
この味は二つなし



いささかの塩っぱい海水に
とぎしたの(1字不明)も
(わが涙までまじりしならじ)
いざ喰らへ
わが戦友(とも)よ
喰はで死にし
わが戦友(とも)よ
これぞこの米の粥ぞ     

吉田 嘉七



 ガダルカナルの壮絶な闘いについて記憶に残るのは、
その闘いを詠った詩を先生が黒板に書いて私共生徒に書き写させた時のことです。
その時のノートが残っているので載せてみました。
書き写したのは闘いから2年余り後、戦争も終わりに近い頃、六年生の時でした。
書き写した当時の事は些細な箇所に至るまで今でも全部覚えています。       


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われは信ず
一、ジヤングルに深くこもれば
雨は夜々肌へを洗ひ
壕内に日々を送りて
敵弾を常に浴びつつ
いつの日に友軍機飛び
糧来るや われらは知らず
されどただわれらは信ず
われらは勝つと


  二、幾日ぞ弾丸(たま)を撃たざる
幾日ぞ米を喰はざる
屋根なせる「星」の翼
(「星」とはこの場合「星条旗」を指す)

ジャングルに木のかげは失せ
嵐なす敵の弾丸に
つぎつぎに友はたふれぬ
されどなおわれらは信ず
われらは勝つと

三、みかへればやせさらばえて
肉そげし ほほよ 腕(かひな)よ
よし弾丸は免れ得とも
長くよし 生きてあるまじ
友軍機いまだ飛ばざる
 糧秣(りょうまつ)も遂に来らず
しかも尚われらは信ず
御国は勝つと 
       
吉田 嘉七


2013年7月30日火曜日

居間からの眺め


半月程前に、居間から 小さな池のある庭先を写した単なる画像ですが、これに何を書き込みするつもりだったのか 忘れてしまって、何となく残されているもの。
庭先と云っても、坪庭? 〜 ですから、何であれ書くとしても しれたものでして〜〜。

本来なら、この地方で、この程度の庭先に植えられてある樹や草の種類でも判れば、それに右倣えして植え直せば、結構楽しいかな、とも思うのですが、その樹や草の種類にも 多分 全く知識が及ばない植物オンチですので、これまた困ったものでゴザンス------。

 それとは別に、このへんでは、広い狭い に拘らず、芝生でキレイにしてある庭も見受けられるので、それらに代えてみるかな、と考えた事もありましたが、この私が 芝生にしてしまったら、さぞよバタ臭い爺いに見えてしまうだろう、とか、とか、これまた余計に考えて現在に至っている次第。

強いて申して、まあ〜道路と家との間にセットされたクッションみたいなもの、と、目下、思っている中身は、そんな程度でしょうかナ〜。

海行かば 他


戦争当時、特に終戦が近付くにつれて最もよく歌われた曲となったら下記の「海ゆかば」だったでしょうか。
この歌は毎日のように聞かされ、又 歌わされていましたね。

海行かば
作詞:大伴 家持
作曲:信時 潔
海行かば
水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば
草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の
辺(へ)にこそ死なめ
かえりみはせじ

 文言の意味は以下。
 海をゆくなら
 水に漬かる屍ともならう
 山をゆくなら
 草の生える屍ともならう
 天皇のおそばに
 この命を投げ出して
 悔ひはないのだ
 けつして
 ふりかへることはないだらう 

思うに ↑ この歌って、歌っていたのは、そんな昔でもないような気がするのが不思議ですよ〜。

以下は歌ではありませんが、何かと云うと 何度も聞かされた文言です。

シコの御盾
民間人といえどもかしこくも天皇陛下の赤子であれば シコのみたて(御盾)として命を捧げることが滅私奉公、忠君愛国の証しなのだ。

以上、帝国国民としては生きて虜囚の辱めを受けるよりは死んで護国の鬼となろう、と幼い頃から軍事教育で叩き込まれていましたね〜。

山中鹿之介-2


下記に入れ忘れましたが、資料としたのが、この絵本からでした。

山中鹿之介


「われに七難八苦を与え給え」
有名な言葉ですよね。

まあ〜これだけ有名なのですから、その時は、彼の周囲には、見物人やら報道関係者 ?〜 が ごまんと集まっていたのでしょう。

このような形の月が見えるのは、明け方か、夕方すぐの時です。当然ながら、彼は人が集まり易い夕方を選んだと思いますね。

その日は、それを待って 御本人も見物客も、レポーターやら、も息を呑んで待っていた事でしょう。

ただ、山中鹿之介の声が、どの位 大きかったのか--------それは、もしかして呟き程度だったかも知れないし、中には、せっかくの言葉を 聞き洩らした御仁も大勢いたかもヨ〜。

---------- 以上、そのように、すべてを 、本当の事として考えなかったとしたら〜

「講釈師、見て来たようなウソを云い〜」と云われて、これは有りもしない、架空の事に過ぎない、と、一事で、片付けられてしまい、今に至って我々は知る事も出来なかったでしょうから------- ね。

空母「天城」



あの頃--------大日本帝国海軍に、このような立派な航空母艦が出来たのは よいとして、まずは、載せる航空機が無かった----とあり、加えて、走らせようとしても燃料が無い------と、まるで子供騙しとような事情があって---------- 、
---------- 結局は放置され、最後はアメリカ軍の飛行機によって攻撃され、横転、着底、とあります〜。

 戦後になって、引き上げられて解体された、とあるので、最後は鉄くずとして利用されたかどうか--------そんなところだったでしょうね。

 “ 大日本帝国 ”  が 哀れでしたなア〜。

2013年7月29日月曜日

「大東亜戦争」


「太平洋戦争」で検索すると、上記のように280万件出て来ます。

これを「大東亜戦争」では163万件出て来るので、今に至るも、その名称も結構使用されている、と云ったところでしょうか。

千歳山


これは検索から お借りした画像ですが、山形市にある「千歳山」です。
見ただけでは小規模な山なので、頂上迄登っても さほどでもなかったようにも思うのですが、実際は結構大変だと思っていましたよ。
かっては 登山道は整備されていなかった、と、それもあったと思いますが。

現在は どうなのか、そこ迄は判りませんが。
----------- ともあれ、当時は、馴染みの山であれ、登ろうと思った事は一度もありませんでした。


実は、子供時代の、その当時から、この山に限った事ではなかったのですが、どうして、このような山が出来るのか、それが不思議でしたよ〜。
勿論、現在に至るも全く同じなのですが、どうしてなのでしょうか〜。

その気持ちを後年更に感じたのは 筑波山に登った時(この時はケーブルカーで)でしたかね。
 筑波山の場合は広い平野に、文字通りポツン 〜 ですからねエ〜。

 出来た理由は今に至るも全く不明と云ったアンバイで------。

今日も雨〜

目下、カメラが無いので画像は載せられませんが、今日も雨模様で、外にも出られず、何となく家の中で、うろうろしているところ〜。

雨降りで困るのは「まる」との散歩〜 ------ それがないと野外での排泄が出来ませんね。

ともかく、雨が止んでくれれば、と天に向かって 祈願を繰り返しているのですが、こちらの信心不足のせいか?、あまり利きそうにもありませんなア〜。

2013年7月27日土曜日

デジカメ不調。

デジカメ不調につき、カメラ屋さんに修理依頼〜。
私が持っているのはオリンパスで、もう結構な年期を経ているシロモノ-----。
検索すると、それに似たような機種が ワンさと出て来ますよ〜。

載せたのも全く同一ではありませんが 、まあ〜似ていますね。

〜使い勝手に慣れている----とは云え、今となれば結構な年期モノでしょうか。

2013年7月26日金曜日

かっての日本軍用機

これは「紫電」


有名な「ゼロ戦」

 「鐘馗」 だと思いますが。

ヒコウキ博士?〜だった私メですが、日本軍の飛行機となると、似た様なデザインなので、現在に至るも 時折は間違いも出ますね。


これは、当時の米軍の「ブラックウイドウ」でしょう。

何を云いたいか?〜当時の日本軍の飛行機は、他機種と間違うような似ているスタイルが多かった------- つまり、どれもこれも一緒くた!に思えたのですよ。

それが、アチラの機種となると、それぞれが全く違ったデザインで、誰が見ても、そこには 個性が感じられたものでした。
載せたブラックウイドウなどは、日本には有り得ない形ですよね。

今更ながら、日本敗北の基礎には、それらが何かにつけ影響を与えた事でしょうよ----。
つまり、思考の幅が狭過ぎた-------これを云いたいのですよ。

その思考の幅は、飛行機のデザインのみならず、いろんな箇所に現在も潜んでいないとも限らない〜〜と、いつであれ、そう思うのも必要なのかもね-------。

散歩道から-2



外に出ると ムッとする暑さ!--------これでしたね。
空を見上げれば、例によって例の如く、空の雲は、すべて細い電線に沿って並んでいるのですよ!?〜。

とにかく暑い!〜


とにかく暑い!〜ですね。
この部屋にも勿論エアコンがセットされているのですが、家中で使用するとヒューズが飛ぶ事もあるので、ここでは扇風機を主としてある分、多少 マイナスがあるのかな〜。

それはそれ、真夏の暑さも 峠が近いとも思うので 我慢が必要なのも、もう暫くかもネ〜。

窓の外を見渡せば、今日の雲は 手前の電線に足並み揃えて お行儀よく連なっているようで〜----- 。

広告から〜


今朝の新聞に、このような広告が入っていたので、この高さなら、ここからでも見える筈で 、 それなら 結構  面白いとも思い、双眼鏡を取り出して、ベランダから どこだ どこだ〜と見渡したものの、見えませんでしたね。

こりゃインチキ臭い、と、思いながら、もう一度  広告面を よくみたら、現在計画中、との事でした-------。

---------トシは取りたくないもんですなア〜。

思わずも涙を流してオロオロと泣き出した始末!〜--------テな事 云っちゃうほかなかったヨ〜。

散歩道から-1


散歩が終わって、我が家の池に辿り着いたところ。
--------- こんな池であれ、ちゃんと それなりの水草も浮いていますので〜。

いずれにせよ、暑いとなると、普段は 見もしない  この  ちっぽけな池にも視線が届くと云ったところでしょうか。

現在の空模様 続く


現在の空の雲は、これこの通り いつものように、左右に並び、手前の電線に乗っかっているようで〜。

 但し、何度か申し上げているのですが、これの場合、左右には並んでも、あちらからこちらへ  、こちらからあちらへ、と------- つまり画面での 上下には絶対に!〜並ぶ事はありませんで-------。

雲同士で、きっと そう決めてあるのでしょう〜(?)。

現在の空模様


まあ〜季節が季節だけに、このような空模様が続いたところで、申すスベもありませんね。

朝イチ空模様


今朝も、はっきりしない空模様で〜。
梅雨時の空模様は、もう勘弁してもらいたいですネ-------。

カッ!〜と晴れ上がった夏空が見たいですなア〜。

2013年7月25日木曜日

散歩道から-4




夕方以降も暑さが残っていたようで、涼みのため夜の散歩に出向いてみました。

犬は、御承知のように、汗をかきませんから 熱の発散は舌を出す事で発散させているわけですよね。

それはそれ〜として、 犬とあらば、そもそもが北方の動物だけに夏は堪(こた)えるでしょう。

そんな事で、ひとしきり そのへんを散歩して帰って来ましたが、結構 元気のようでしたね。

散歩道から-3


歩いている分には傾斜を全く感じない坂道ですので〜。
それはそれでOKとしても、自転車走行などでは、どの程度の傾斜か、自ずと知らされるものですが。

まあ〜加えて、仮に大水が発生した場合などを思えば、どこがどう、と、概略であれ、判断出来るようにしておきたいもの〜。

-------ともあれ 今日の散歩は、ホント、息が詰まるような曇り空で 結構 草臥れましたなア〜。

いろんな神サマが〜


戦争が終わって、しばらくすると、様々な神サマが現れましたね。
人心が不安定になれば、そこに つけ入るが如く いろんな宗教が出て来るのも 一つの社会現象としては当然なのでしょう。

窓からの眺め


現在の窓からの眺め、で、画像はクリアーにしただけで、あとの いろんな処理はナシです。
空模様は、薄雲が広がっている〜-----と云うよりは何等かのガスによる曇りのようですね。

察するところ、このガスが風によって吹き去られる迄は、ムッとする暑さは去らないでしょう。

新聞切り抜き〜 から


左上のオレンジ色の箇所 そこには 数年後 コメントが書き込みしてありますが、それが下記。
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大東亜戦争を総括して理解出来たと云えるのは、この新聞記事を読んだ事に依る。
私にとってはホントに懐かしい記事が溢れている。たかが小学生と云うべきものでもない。
小学生も六年生になると、かなりの理解力を持つようになるものだ、とも思う。
五年生の時は「ヒコーキ」一辺倒であったが、半年後には、曲がりなりにも天下国家に注目するようになった。

但し、ここでの記事がアメリカ側の一方的内容で、独善的なものである点までは気がついていたとは思えない。
六年生のアタマには限界があった。
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※ ↑〜現在は、このコメント自体にもノスタルジアを感じるだけ、と申しておきましょう。

窓からの眺め


空は朝から灰色のままで全く変化がありません。

----------それにしても、こうなると、電柱と電線 〜 ------ これなどが随分と目立ちますね。

“ 空を占拠しているのは我が輩達でござんす ” 〜テな声が聞こえて来るようで〜〜。

散歩道から-2-2



 いつも通る道ですが、住居 住宅 に対する現代感覚は、昔々から思うに全く変化してしまっている、と 思い知らされる家並のようで〜。


草は一面に生え揃っているようですが、すべて雑草の類い(たぐい)でしょうね。
いずれは、ここにも眩しいばかりの家並が揃うのでしょう〜。



これも、いつやら載せた樹木の画像ですが、ともあれ、これも街の中なのですよ。
----------- そうかと云って、切り倒すのは無惨!〜としか思えないのですが------。

散歩道から-1


虫の姿が全く見られない昨今だと思いますが、それを承知なのかどうか、ここでも可憐な花を精一杯開いている健気な花を見るのですが〜。


 ここでの枯れ草は、地面の特徴からか、それとも除草剤のためか、いずれにしても、ここだけ限定------と云うのも おかしいような気もするのですが〜。

緑の中に立つアパート。
住まいとは、このように 常に 緑と一緒でなければね-----。


白い箇所は推測では蜘蛛の巣かと思うのですが?------。
---------- まあ〜蜘蛛さんも 御苦労さんですなア〜。

庭の木蓮-2


改めて眺めて、今更感心する程の事でも ないとは思うのですが、一枚々の葉っぱを見ると、水が こぼれ落ちないように、葉っぱは開きっ放しではなく、受け皿のように 窄めているのが判りますね。

 微妙なところですが、葉には、このような役目も ちゃんと備わっているとの事でしょう〜。

庭の木蓮





庭の「木蓮」も  “ もくもく”  としながら “ れんれん ” と季節を謳歌しているようで〜。

---------- ナヌ!?〜そんなの 古臭いってカ?!〜。

日本での最高気温

今日は朝から雨模様で、気温もさほど高からず、温度的には、まあ〜丁度よいく過ごし易い一日となりそうですが〜。

歴史を 紐解いてみるに、かつての今日は、なんと日本の最高気温を ざっと80年保ったのが山形市である 〜〜 との記事が出て来ますね。

 因に、この日に限らず、毎年のこの頃は気温が最高に高くなるので、この私メが生まれた時も、母が申していたのですが 結構な暑さ(熱さ?)だったとの事でしたよ-----。

以下、検索からですが ご参考のためにでも。

1933年(昭和8年)7月25日に山形市で観測された気温40.8°Cは、2007年(平成19年)8月16日に埼玉県熊谷市岐阜県多治見市で観測された気温40.9°Cに抜かれるまで、74年間にわたって日本最高の記録であった。

  以下 検索からです。



2013年7月24日水曜日

散歩道から-3


 地面に何があるのかどうか、よくぞまあ〜クンクンと一生懸命のようで〜。


 向こうは単なる畑地なのですが、覗ける所となれば、覗かないとネ〜。


 遠い向こうの方の灯光は、新座病院のようですが------となれば、完全消灯はないのかも〜。

いつものように思うのですが、この場に自動販売機は多少ムリがあるのではないかナ〜とも思ったりする次第ですが------。

 ともあれ、これで今日の散歩は何事もなく無事終了した次第でした〜。

窓からの眺め


6時丁度くらいの窓からの眺め、で、向こうの給水塔は、なんと 夕暮れ空に溶け込んでしまっていますね。

まあ〜ともあれ 今日は一日中の雨降りで、全く 冴えない一日でオワリそうで〜。

散歩道から-2-1



このテの画像が 手元 に大量にあって、まあ〜どれがどれなのか、正確には判らなくなってしまっていますね。

いずれにしても、写したのは昨日今日の範囲なので、載せるだけは載せてみましたので〜。