2013年7月20日土曜日

金属供出

検索からですが〜。
「金属供出」------- ありましたねえ。
戦争も終盤に迎えた頃、飛行機や軍艦を造るのに、金属が足りないので、各家にある火鉢であれ 釜であれ、何であれ、金属品を出しなさい-------との指示があり、我が家では、来客用に保存してあった、かなり大きな銅の丸火鉢、それって結構 値打ちもの だったと思いますが、惜しいと思いながらも出した、と、母親が云っていましたよ。

 私が承知しているのは、それらの供出された金属の家庭用品が、市役所前の広場に、堆く(うずたかく)積まれていた光景、それを今でも思い出しますね。あの中には我が家の、あの丸火鉢も入っているのだ、とか、結構 感無量で眺めていましたよ。

 問題は、やがて終戦を迎えて、ひょいと気がついて市役所に行ってみたところ、あの金属の山が依然として聳え立っていた光景でしたよ。

??〜 どうなるのだろう?〜  と、何とも云えない気持ちでしたなア〜。

当時、その件で、新聞にも投書があったと向かいのお兄さんから聞いたものでしたが。
結局は、すべて、処分した、とは分かったのですが、どんな処分をしたのか、それでカネが入ったとしたら、それをどうしたか、etc〜 現在に至るも 勿論 私には不明のままですが---------------。

 載せた写真の方は無論キチンと利用された供出品だったでしょうね。

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