戦争当時、特に終戦が近付くにつれて最もよく歌われた曲となったら下記の「海ゆかば」だったでしょうか。
この歌は毎日のように聞かされ、又 歌わされていましたね。
海行かば
作詞:大伴 家持
作曲:信時 潔
作曲:信時 潔
海行かば
水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば
草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の
辺(へ)にこそ死なめ
かえりみはせじ
水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば
草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の
辺(へ)にこそ死なめ
かえりみはせじ
文言の意味は以下。
海をゆくなら
水に漬かる屍ともならう
山をゆくなら
草の生える屍ともならう
天皇のおそばに
この命を投げ出して
悔ひはないのだ
けつして
ふりかへることはないだらう
水に漬かる屍ともならう
山をゆくなら
草の生える屍ともならう
天皇のおそばに
この命を投げ出して
悔ひはないのだ
けつして
ふりかへることはないだらう
思うに ↑ この歌って、歌っていたのは、そんな昔でもないような気がするのが不思議ですよ〜。
以下は歌ではありませんが、何かと云うと 何度も聞かされた文言です。
シコの御盾
■民間人といえどもかしこくも天皇陛下の赤子であれば シコのみたて(御盾)として命を捧げることが滅私奉公、忠君愛国の証しなのだ。
■民間人といえどもかしこくも天皇陛下の赤子であれば シコのみたて(御盾)として命を捧げることが滅私奉公、忠君愛国の証しなのだ。
以上、帝国国民としては生きて虜囚の辱めを受けるよりは死んで護国の鬼となろう、と幼い頃から軍事教育で叩き込まれていましたね〜。
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