2012年5月15日火曜日

出征兵士を見る


 山形市にあった陸軍の連隊は 私の家から程近い所にありました。旧・山形城跡で 周囲が堀に巡らされ、 普段は立ち入る事の出来ない所。中では大勢の兵隊さんが日夜 訓練を続けていました。
               
 ある日の事。その日は召集令で集められた大勢の民間人が入隊する日だったのでしょう。まだ普段着の姿で、様々の服装をした男達が門前に ゴチャゴチャと集められ、 やがて何列かの縦隊に並び変えられていました。列に沿ってそれらの家族達が、これも大勢見守っていましたね。さまざまな声や 悲しそうなざわめきが交錯する妙な空気の漂う暗い暗い光景でしたよ。
 出征兵士を送る------ となると見送る家族の手には決まって「 日の丸の小旗 」が頭に浮かぶのですが、その記憶はありません。
       
 並べられた男達は何やらの風呂敷やらバッグ類を持っていました。多分、その中には当座の日用品などが入っていたのでしょうか、最後の、娑婆でのおのれの全財産!だったでしょう。

 まわりを見渡して気が付いたのは、なにやら不自然にブレ続けていた男達の挙動でした。視線も落ち着かず、キョロキョロと周囲を見渡してはオドドしていました。群集の中から「・・.とうちゃん!!・・・にいちゃん!!・・・」とかの声がかかると、思わずもその姿を探るような目つきは子供ながら気がついたのですが“死んでいた”のです。勇ましいフルカラーの光景とは程遠い、この場には似つかないモノトーンの影絵みたいなものでした。

 本人達も家族達のいずれも「死」を予感しての死出の旅立ち・・・そうです-----色のない世界を演じていたのです。
          
 そんなざわめきの中、一声大きな声で、なにやら上官(らしい)の声で「全体 進め!」で 召集員全員が ぞろぞろと中に入って行きました。その後を追うよに悲鳴に似た大勢の群集の叫びが上がりました。
           
 その光景は、戦況も折り返し行き詰まり、玉砕の悲報が相次いで報じられるようになった頃、振り返れば、まもなく本土へB-29がチラリチラリ飛んで来るようになった、そんな頃でもあった気がしますが・・・。
                  
 それから、一ヶ月もあと の頃か、山形連隊の中は門前から見る限りカラッポ。目に入ったのは無人の兵舎だけ。やがて、はるばる飛んで来た敵のB-29も艦載機も、いずれも目もくれず素通りして飛んでいく、 只の「空間」に変わり果てていました。
             
 山形部隊は、ガダルカナルから始まり、インパール作戦、等々の戦いで、いずれも全滅したとは後年聞いたのですが-----となれば、あの時見送った出生兵士の中での生き残りはゼロに近い(いやゼロだったかも)、当然ながら、それが正真正銘 全うな結果だったのでしょう。




 通常であれば「出征兵士を見送る」なのでしょうが、敢えて「出征兵士を見る」としました。



一、わが大君(おおきみ)に召されたる
  生命光栄(はえ)ある朝ぼらけ
  讃えて送る一億の歓呼は高く天を衝く
  いざ征(ゆ)けつわもの日本男児

 上の写真は、山形城    復元二の丸 東大手門



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