齋藤彰のブログ
2012年8月14日火曜日
広幡小学校
戦争末期に山形市から米沢の叔父の家に 疎開?(移転)して入った米沢市の広幡小学校。
当然ながら、その当時は、これ程立派ではありませんでした。
全校生 ハダシで通学していましたが、私の方では、ハダシでは痛くて歩けず、運動靴を履いて通いましたが〜。
担当の先生は女性の「玉虫先生」珍しい姓のようでしたが、地元では、それ程でもないような苗字でしたね。
ただ、こちらとしては、それだけに今に至る記憶として残っています。
通学期間は一ヶ月にも達しませんでした〜--------勿論 終戦が告げられたからでした。
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