2010年11月26日金曜日

ピサの斜塔

 
 
 ピサの斜塔は当然ながら、傾いているわけですが、見る場所によっては傾いて見えない位置もあるのではないかとも思ったりするのですが-------残念ながら現地には行った事がないので、確かめようがありません。
 ただ、検索からから お借りした写真の中には、それなりに、そんな場所もあるような感じがしたのですが-----------どうなんでしょう?。
 この写真がそうなのですが、ちょっと傾いては見えませんよね。

赤道

 
 
 その昔、近くのガキ共に、

 “ シンガポールに行ってヨ、海を見たらヨ、シンガポールは赤道に近いので、赤い帯が ずーっと向こうの水平線の方まで延びていたよ-------- ”、

 とハナシをして聞かせてやったところ、「ホント?、ホント?----- 」の連発でしたなあ〜〜。

国語教科書から「色はにほへど」

 
 以下、昔、私どもが教わった教科書(『初等科国語』八)からです。

 色はにほへど散りぬるを
 わがよたれぞ常ならむ。

 どこからか聞こえて来る尊いことば。美しい声。

 ところは雪山(せっせん)の山中である。
 長い間の難行苦行に、身も心も疲れきつた一人の修行者が、ふとこのことばに耳を傾けた。

 いひ知れぬ喜びが、かれの胸にわきあがつて来た。
 病人が良薬を得、渇者が清冷な水を得たのにもまして、大きな喜びであつた。

 「今のは仏の御声ではなかつたらうか。」
 と、かれは考へた。しかし、「花は咲いてもたちまち散り、人は生まれてもやがて死ぬ。
 無常は生ある者の免れない運命である。」という今のことばだけでは、まだ十分でない。
 もしあれが仏のみことばであれば、そのあとに何か続くことばがなくてはならない。
 かれには、さう思はれた。

 修行者は、座を立つてあたりを見まはしたが、仏の御姿も人影もない。
 ただ、ふとそば近く、恐しい悪魔の姿をした羅刹のゐるのに気がついた。

 「この羅刹の声であつたろうか。」
 さう思ひながら、修行者は、じつとそのものすごい形相をみつめた。

 「まさか、この無知非道な羅刹のことばとは思へない。」
 と、一度は否定してみたが、
 「いやいや、かれとても、昔の御仏に教へを聞かなかつたとは限らない。
 よし、相手は羅刹にもせよ、悪魔にもせよ、仏のみことばとあれば聞かなければならない。」
 修行者はかう考へて、静に羅刹に問ひかけた。

 「いつたいおまへは、だれに今のことばを教へられたのか。思ふに、仏のみことばであらう。
 それも前半分で、まだあとの半分があるに違ひない。前半分を聞いてさへ、
 私は喜びにたへないが、どうか残りを聞かせて、私に悟りを開かせてくれ。」

 すると、羅刹はとぼけたように、
 「わしは、何も知りませんよ、行者さん。わしは腹がへつてをります。あんまりへつたので、
 つい、うは言が出たかも知れないが、わしには何も覚えがないのです。」と答へた。

 修行者は、いつそう謙遜な心でいつた。
「私はおまへの弟子にならう。終生の弟子にならう。どうか、残りを教へていただきたい。」

 羅刹は首を振つた。
 「だめだ、行者さん。おまへは自分のことばつかり考へて、
 人の腹のへつてゐることを考へてくれない。」

 「いつたい、おまへは何をたべるのか。」

 「びつくりしちやいけませんよ。わしのたべ物といふのはね、行者さん、人間の生肉、
 それから飲み物といふのが、人間の生き血さ。」

 しかし、修行者は少しも驚かなかつた。
 「よろしい。あのことばの残りを聞かう。さうしたら、私のからだをおまへにやつてもよい。」

 「えつ。たつた二文句ですよ。
 二文句と、行者さんのからだと、とりかへつこしてもよいといふのですか。」

 行者は、どこまでも真剣であつた。
 「どうせ死ぬべきこのからだを捨てて、永久の命を得ようといふのだ。
 何でこの身が惜しからう。」
 かういひながら、かれはその身に着けてゐる鹿の皮を取つて、それを地上に敷いた。
 「さあ、これへおすわりください。つつしんで仏のみことばを承りませう。」

 羅刹は座に着いておもむろに口を開いた。
 あの恐しい形相から、どうしてこんな声が出るのかと思はれるほど美しい声である。

 「有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず。」
 と歌ふやうにいひ終ると、
 「たつたこれだけですがね、行者さん。お約束だから、そろそろごちそうになりませうかな。」
 といつて、ぎよろりと目を光らした。

 行者は、うつとりとしてこのことばを聞き、それをくり返し口に唱へた。すると、
 「生死を超越してしまへば、もう浅はかな夢も迷ひもない。
 そこにほんたうの悟りの境地がある。」
 といふ深い意味が、かれにはつきりと浮んだ。心は喜びでいつぱいになつた。

 この喜びをあまねく世に分つて、人間を救はなければならないと、かれは思つた。
 かれは、あたりの石といはず、木の幹といはず、今のことばを書きつけた。

 色はにほへど散りぬるを、わがよたれぞ常ならむ。
 有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず。

 書き終ると、彼は手近にある木に登つた。そのてつぺんから身を投じて、
 いまや羅刹の餌食にならうといふのである。

 木は、枝や葉を震はせながら、修行者の心に感動するかのように見えた。修行者は、
 「一言半句の教へのために、この身を捨てるわれを見よ。」
 と高らかにいつて、ひらりと樹上から飛んだ。

 とたんに、たえなる楽の音が起つて、朗かに天上に響き渡つた。
 と見れば、あの恐しい羅刹は、たちまち端厳な帝釈天の姿となつて、
 修行者を空中にささげ、さうしてうやうやしく地上に安置した。

 もろもろの尊者、多くの天人たちが現れて、
 修行者の足もとにひれ伏しながら、心から礼拝した。

(『初等科国語』八)

孔子と顔回


 

 「ああ、天は予(よ)をほろぼした。天は予をほろぼした。」
 七十歳の孔子は、弟子顔回の死にあつて、聲をあげて泣いた。
 三千人の弟子のうち、顔回ほどその師を知り、師のへを守り、師のへを實行することに心掛けた者はなかつた。
 これこそは、わが道を傳へ得るただ一人の弟子だと、孔子はかねてから深く信頼してゐた。その顔回が、年若くてなくなつたのである。
 「ああ、天は予をほろぼした。天は予をほろぼした。」
 まさに、後繼者を失つた者の悲痛な叫びでなくて何であらう。
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 これは小学校5年の時に教わりましたね。上に載せた文面は、それからの抜粋です。
 その時の教科書に載っていた孔子の挿絵を、何枚か模写?した記憶があります。
 但し、当時の教科書の、その挿絵を捜したのですが、この方は出て来ませんでしたね。
 --------------と云う事で、似ている絵を取り出したのですが向きが逆だったので、反対像にしたのですが、着付けなどで正確ではないのかも知れませんが、ざっと、このような絵でした。

散歩道から

 
 
 朝一番での “ まる” を連れての散歩道からでした。

戦後の論説から

 
 
 新聞記事の分、それは下記のよういに書かれています。
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「ワシントン特電I.S.N特約廿九日発」
噴射推進機やグロンブ  原子戦に備へる米海軍の方策
 米海軍省は二十九日原子エネルギー戦時代に対処すべき米海軍の方策を次の通り発表した。
海軍は海上での原子エネルギーの武器の攻撃に備え種々計画を立てた。
第一は噴射推進式戦闘機で、戦時中から米国の科学水準は敵のそれとの間に決定的距離を保つ事が出来たが、この噴射推進機研究もこの距離を益々増大すべく不断の努力を以て継続され、無人機及び無線誘導爆弾の発達は活発に続けられよう。従来のピストン式発動機と噴射推進装置併用の合成動力装置の観念には有望な将来が約束される。この型の動力は急降下爆撃機、魚雷炸裂機、長距離哨戒陸上機に特に威力を発揮しよう。また時速700哩以上の高速機の動力装置も目下研究され日本の降伏前研究に着手された広汎な計画中にはグロンプ(滑空爆撃機)があり、これは海軍戦闘機により曳航され、四千ポンドの爆弾を搭載し得ることを目標にしている。
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 私が後年書き込んだ分(これは楽に読めますが)が以下。

 ここで云っている噴射推進式とはジェット機を指しているのか、ロケットを云っているのか はっきりわからないが、ともあれ戦争終結を境にして、その両者共急速に進歩した事は間違いない。ジェット機は 航空機で、ロケットはミサイルの形で、あっと云う間に世界的に出現するようになった。ただ、それが原子力に、どんな形に結びつくのか、この記事では読み取る事が出来ない。又グロンブは実現せずに終わった。

2010年11月25日木曜日

進駐軍のバス


 
 私の「〜新聞切り抜き帳」からです。
 日付が昭和20年10月16日?と書かれているようですが。
 緑色のコメントは後年書き加えたもので、確かに、驚くべき写真でも なさそうですね。
 但し、当時としては やはりアメリカの文明?に子供ですら肝を潰していた時代でした。
 現在眺めて見るに、驚く事もないようですが、とにかく「乗り合い自動車」がアメリカ流に「バス」と呼ぶ時代になっていたのですから。