2011年11月30日水曜日

窓からの眺め

 
 6時前で、もう とっぽりと、この暗さですからね。
 これから更に、冬至迄、もう少し暗さが早まるわけですから〜。

巌窟王

 

 この本を手にしたのは中学生の時でした。大冊です。ずしりと堪えるような重さに、子供心ながら一種の恍惚感というか陶酔感みたいな感情(戦慄?)が走ったのを覚えています。

 岩窟王の訳本は沢山あると思うのですが、終戦後すぐの頃ですから、多分大正年間(又は明治?)に出版された本ではなかったかなと思われます。「なんとか全集」に含まれていたものです。立派な本でしたね。

 その本についてどれだけの事を覚えているか---かなり怪しいモノがありますが・・・・。
 当時の文学作品は、現在のとは多少違っていて、文体が講談調というのか落語調というのか、話芸的な表現であったような記憶があります。(これはこの本に限らず、例えば「金色夜叉」とか「不如帰」などの名作に於いても同じでした。 但し、それらの本を読んだのは中学時代ではありません-----たまたま、滅多にないその種の本を読む機会があって知った次第ですが。----それにしても実際にそれらをキチンと読んだ人はそれほど多くないのではないかと思っているのですが、余談ながら、どうでしょうか。)

 岩窟王の翻訳者は誰であったのか、今思うに黒岩涙香だったと思われますが。 

 然し、名調子の文体であったかどうか、それを判断出来る年令では勿論ありませんでした。ただ、やたらと漢字が、それも超ムヅカシイ漢字が出て来るので、確かに閉口したのですが、ストーリーを追いかけるのに格別に邪魔であったという記憶は残っていません。漢字の意味を踏まえて読んでいくのではなく、多分に調子で読んでいくので、漢字の難易度はそれほど気にならなかったのだと思います。

 物語りの主人公は「エドモン・ダンテス」です。然し、その本では、なんと「団・太郎」と、日本名に改めてありましたね。考えればおかしな訳し方で、現在では全く有り得ない訳し方。但し、当時は別に不思議でもなんでもなかったですよ。類似の小説は他に何編か読んだ覚えがあったので「あ、又これか。」と軽く受け取って済ませていました。巴里とか倫敦とか亜米利加とか、日本名ではないにしろ日本読みですべて統一されていたので、それでよしとした時代背景があったもの。太郎君が巴里で仏蘭西人になって活躍するなんて、ステキではありませんか。今でもそう思いますよ。--ただ、登場人物すべてが日本名であったかどうか、ちょっとそこまでの記憶はありませんね。

 読み出してすぐ、のめり込みました。テレビや動画、劇画、そしてマンガ----それらが溢れている昨今と違って、当時の分厚い書物は場合によりけりですが子供にとっても生活必需品でした。とにかく夢中になって読みふけったのを覚えています。この本には哲学とか思想とかの難しい問題は入っていません。いうなれば紙芝居の延長線上にあるような単純なストーリーですよ。子供の頃いじめられた男が大きくなっていじめた男達にシッペ返しをするような話ですから、スカッとするハナシ・・・・。

 覚えているストーリーは下記のようなものです。

 ---太郎君の結婚式のその日、謀略によって太郎は捕らえられ牢に入れられてしまいます。とんでもない長い期間の牢獄生活が続きました。ある日、となりの牢屋に一人の老人がいるのに気が付いて、秘密裡に会うようになりました。太郎はその老人から様々な事を教わり知らされます。やがて老人が死ぬと同時に太郎は脱獄を計り、成功し、老人から教わった宝の島で膨大な宝物を見つけ、その財力をバックにして名前を伯爵の名に変え、かっての土地に戻って来て、敵の紳士達を次から次へと葬り去っていきます。最後は若い娘と一緒に地中海のどっかの島に向かうところで終わりになっていました。
 伯爵が昔の太郎である事は誰にも知られず最後までそれで押し通せたのですが、たった一人気が付いていた者がいました。それは、かっての結婚する筈だった女性です。その女性は敵の紳士と結婚し、すでに青年になった息子(アルベール大尉とか云う名ではなかったかなあ--。)もいたのですが、伯爵は、その青年だけは殺す事が出来ず見のがしてやった----とかなんとか・・・・そんな筋書きであった記憶があります。

 今、覚えているだけの内容と云っても、それで精一杯ですね。

影の長さ

 
 我が家から、単に向こうの駐車場を望遠で撮っただけのものですが、冬至が近いせいもあって、影の長さが正午とは云え、結構長いものですね。

 冬至には、まだ一ヶ月近くあるものの、日が短くなるにつれ、この影が更に長くなり、これからは寒くなる一方なのでしょう。

西向くサムライ

 
 「西向く侍(士)は小の月」、これで11月も今日でオワリですね。
  来月は もう師走ですからねえ〜-----今年も、もうオワリに近くなって来ました。

散歩道から11-30-3

 
 もう、見事な草原!----と、そう申すほかありません〜〜。

 
 願わくば、この草原は、遠く未来の果て迄、このままでいて欲しいと思いますね。

 
 草原の端の方にある保育園の近く、ここには現代ならでの、厳つい装置が用意されてあります。
 ここは、牧歌的な草原のみならず、現代社会も色濃く重なっているのです。 

 
 まあ〜〜今日の日課、朝の散歩も終わって ヤレヤレでしたネ〜〜ご苦労さん でした-------。

散歩道から11-30-2

 この銀杏も普段は気にも留めないのですが、落ち葉があってこそ、初めて この季節を意識出来る〜〜そんな感じもしますね。

 
 それにしても、単なる銀杏の樹とは云え、傍に 建っている “ しもた屋 ” 風の、その まわりも見て下さいな------これぞ、秋!との雰囲気が溢れ出している感じですよ〜。

散歩道から11-30-1

 単なる畑の姿ですが、その耕し方となると、もう かなり芸術の域に達している!----とすら思えますよ〜。
 
  恐れ入り奉る〜〜
 
 
 緑一面の視界の中に、ひょいと、このような花が、さり気なく咲いている〜〜 -----。
 もう、ニクいとしか言い様がありませんね。

 
 一面の枯れ草の芝生?を背景に立つ赤い樹、これなどの配色もニクいですなあ〜〜。

2011年11月29日火曜日

散歩道から11-29-4

 私の住まいは野火止台地の上、その台地の縁の下、それに沿って流れる川が 黒目川。

 
 川から台地の上への道は、キツい上り道。結構堪えますな〜〜。

散歩道から11-29-3

 このあたりは野火止台地の下-----と云う事で、川が流れているのですよ!〜。

 
 竹林が繁茂しているのですが、こうなると、かなり希有な姿に映じますね。

 
 小さな お宮が鎮座ましましている?のも、日本ならでの姿でしょう。

 
 一口に竹林と云っても、こうなると、もうジャングルに近い、と申すほか、ありませんね。
 中に入り込むのは、ちょっとムリのような感じもしますよ〜。

散歩道から11-29-2

 路端に咲いている小さな花々〜 ------。
 可憐さを感じますが?〜。

 
 手前の こんもり?した中に点在するピンクの花が お見事!〜。

 
 クリスマスも、もうすぐの季節ですよ〜。

 

 
 この垣根の見事な色彩!〜今頃が見頃ですね。

「まごころの日の丸」

 
 大東亜戦争前の、支那事変の頃のハナシで、この少女から貰った日の丸を頭に巻いて前線に出たところ、敵の鉄炮の弾丸が鉄兜に命中した際にも無事に切り抜ける事が出来た〜〜と、このような話ですね。
 当時の絵本となると、このようなウソかホントか判らぬような話が多くてウンザリしていたのを憶えているのですよ。
 子供ながら、これ等よりは もっとホントに近いハナシってないもんかと嘆いていたのを憶えています〜。

 これは私のみならず全国的にそうだった筈とも思っているのですが?------。
 〜〜とにかく子供騙し〜?!は止めてくれ!---------これでしたよ〜。

 因に、私の場合、小学校2年生で大東亜戦争の開戦、6年生で終戦でした。

散歩道から11-29

  写真の拡大倍率を低くし、なるべく多数枚一度に見られるようにしましたので〜。

 
 赤い粒々の この花、よく見かけるような気もしますが〜〜。
 それと全く違う白い花など、一緒に咲かせる〜〜なんて、自然の神サマも ニクい! 〜 ですよ。

 
 路上を賑わす花の行列----------これ迄も何度か載せました。

 
 このような草むらに咲く花となると、飛んでいる虫の姿も見受けられないし、受粉の機会など、到底 訪れない感じもしますがねえ〜〜。
 然し、それでいて、季節が訪れると間違いなしに咲くのですから判りませんなあ〜。

 
 これも上に同じですよ。

 
 この写真では、ちょっと はっきりしませんが、この銀杏並木の、それぞれのカラーバランスが、 緑、黄色、と混在する昨今ですよ。
 本来なら、狭い所ですから 一斉に変化して然るべきかな、とも思うのですが?〜。

2011年11月28日月曜日

3ケの信号


 
 ここの近くは 夜ともなれば「まる」を連れてよく歩くのですが、遠くから、この信号を見るにつけ、三個の信号灯は おかしいよなあ〜と思っていたのですが、昼に通れば この通り、ちゃんと、そこには「補助信号」と明記してあるので、納得はするのですが〜。

 ただ、それにしても、何を補助しているのか、カーブになっているので、見落としが出ないように、と、そうしてあるとも思うのですが、いまだに釈然とはしませんね。

 こちら側から見る限り、向こうの2個は、カーブとは申せ、かなり後方からでもキチンと見えるので、補助信号の必要度は無いとも思うのですがねえ〜。

 配慮に配慮を重ねた処置であれば、それはそれで理解出来るのですが、絶対条件でもないような気がすると、屋上に屋を重ねる如し〜〜とも言い出されないとも限りませんよね。

 いずれにしても、補助信号灯とは希有なような気がしないでもありません。
 現在の私はクルマの免許は返上した身の上ですが、以前となると約半世紀近くは乗り回していたものでして----。

犬の種類 -3

「犬の種類」での画像数、現在では11.800.000件(一千一百八十万)件。
          件数、現在では15.200.000件(一千五百二十万)件。

  以上の数値で出て来ましたね。
  この数値が、どこ迄、いつ迄、正確なのかは不明のようですなあ〜。

  ※(これ等の件数は、検索件数であって、犬そのものの種類数ではありませんので〜)。

犬の種類 -2

 
 googleでの、一億四千万件以上の犬の種類の検索画面。
 犬もさる事ながら、それを画面表示をしているgoogleもアッパレなもんですよなあ〜。

 唯、推測ですが、その全種類は画面では出て来ないのではないかとも思うのですが?---------。

犬の種類


 
 愛犬「まる」の写真ですが、
 それはさて於いて、犬の種類で検索すると、なんと1億4千4百万件と出ましたね。
  ※ 因に「愛犬まる」では746000件出ましたよ。

 ------- ともあれ、犬の種類とは何故も こう多いのでしょうか?。
 虎、ライオン、豹、それらは検索はしてみませんが、大した数字は出て来ないでしょう。

 重ねて〜〜、 何故、犬の種類だけが 圧倒的に多いのでしょうか?〜〜〜。

散歩道から11-28

 夕方も五時を過ぎると、もう真っ暗ですネ〜。
 この写真は、やや離れたところの電柱の照明があっての写りですよ。

 
 近くの神社。賽銭箱を照らす電灯だけが目に入りましたね。

 
 ここには、もうサンタクロースが早々とやって来るのかも?〜。

「窓からの眺め」11.28

 
 写真からでは、あまり暗さが判らないので、多少画像処理をしてみましたが、ホントは、ほぼ真っ暗に近い景色です。
 冬至も近くなって来たわけですから当然とは云え、やはり気分が萎える暗さではありますね。

楠木正成

 
 下段に載せた「楠木正行」よりも、当然ながら、こちらの 父親「楠木正成」の方が、更に有名である旨、それをお忘れなく------。

 因に、この講談社の絵本に限らず、当時のすべての有名人の顔となると、誰彼を問わず、同じ顔つきで登場しているのですが、当然ながら本人である事を証明する写真が無いわけですから、いずれもが似たり寄ったりの顔になってしまっているのは、まあ〜ヤムを得ない事でしょうナ〜〜。

楠木正行

 

 

 
 楠木正行(くすのきまさつら)は、彼自身それ程の有名でもなかったと思うのですが、父親の楠木正成がチョー有名人だったので、その流れで知られた人物-----と申して正しいと思いますが、別件で、この「桜井の駅」の歌で忘れられぬ存在になった方でもありましたね。

 尤も、私の小さい頃は、当時も「桜井の駅」とか申す鉄道の駅があったせいだろうとかの勘違いでも知られた人物だった、と云ってもよかったかな-----そうも思いましたが?-----。

 
  因に、その本の裏表紙の「クラブ歯磨き」この広告も懐かしい限りでございましたナ〜〜。

「ノモンハン事変」

 
 「ノモンハン事変」での戦争画です。

 大体「〜何々〜事変」との文言が 判り難かったですなあ〜。

 つまり正規に宣戦布告を発する事がないまま戦争状態に陥る事が「〜〜事変」で、逆に正式な宣戦布告を発した場合の戦闘は「〜何々戦争」と称する、これが正解でしたね。

 -------となると、戦争は判るとして、事変の方は、何もないまま戦いを行う事ですから、どちらが勝って、どちらが負けたのか、とかとかの区切りがゼロである戦争だったのでしょうね。

 そんな事で「ノモンハン」での戦闘と云っても、何がどして、どうなったのか、何もかも、最後迄判らずでオシマイになってしまいましたヨ!〜。

 これと同じで、「満州事変」「支那事変」これらも纏めて、何がどうしてどうなっているのか------そして、どうなったのか、結局のところ不明で、大東亜戦争が負けた時点で、そちらの方も全部負けた事にしてしまったのだと、そう理解しましたね。

 まあ〜それで間違いはないとしても、子供ながら釈然としないモノが心に残ったものでしたよ。

 ---------ところで「何々事変」との言葉そのものは、現在に至るも通用する言葉なのでしょうか。

 宣戦布告も何もない国家間の紛争戦争などなど、世界的には、いくらでもあるような現在ですが、それを「〜〜何々事変」と称している事例は、世界的にも、聞いた事もありませんね。

昔の仮名使い-2

 

 これも昔の本の広告で、その文面をみると すべて“カタカナ”ですよね。
 それが現在では “ひらがな” からスタートするのではありませんでしたか?。

 ただ、それを思うに、やはり初年度は、直線の多いカタカナから始めた方が正しいと思うのですが、いかがでしょうか。

 曲線の多い ひらがな は初年生にとっては、特に 書き方 に困難が多いと思うのですよ。
 (〜〜違っていたら、ご免なさい。)

昔の仮名使い


 戦前の、このような仮名遣いの文面は、現在では妙な文体に見えてしまいますが、当時は何の不思議もなく使用していたのですから、不思議ですね。

 因に「蝶々」は、「ちょうちょう」ではなくして「てふてふ」と書いてあって、それを「チョウチョウ」と読ませていたわけですよ。

 現在では確かに、それではおかしいですよね。

‘ アタマ人間 ’


 未来人間は身体に比較してアタマだけが巨大化するだろう------との判断で、いろいろとアタマでっかちの画像に仕上げようと頑張ったのですが、なかなか うまく いきませんね。

 つまり、このような絵を完成させるとなったら、現在人間のアタマそのものが巨大化する迄待たなければならないのだろう、と考えギブアップしました!〜〜。

カンガルー

 
 カンガルーを見て不思議に思うのは、直立して両手が自由に使えるようになって、何故 人間並みに進化しなかったのか、そこが理解出来ないのですよ。
 猿と違って、脳の容積も結構大きいようにも思えますが?〜。
 -------- どなたか説明出来る人いませんか?。