2010年7月31日土曜日

ハレー彗星


 1986年の接近は、ハレー彗星の過去の全ての出現の中で地球からの観測に最も不向きだった。彗星の光度は過去の出現時のような明るさに達せず、また都市化によって光害が広がった結果、多くの人々は彗星を全く見ることができなかった。しかも彗星が最も明るくなったのは、3月から4月にかけて北半球からほとんど見られなくなった時期であった。このため多くのアマチュア天文家が、彗星を一目見ようと南半球へ移動した。
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 私は器材を持ってオーストラリア迄出向きましたね。
 パーテイを組んで、陣取ったのは、シドニーから文字通り人跡未踏の砂漠の中に-----------。
 それであってもよく見えませんでした。彗星は貧弱だったのに加えて天の川に紛れ込んだ関係で、余計ダメでしたね。
 まあ〜それはそうであっても、そのオーストラリアの砂漠で一夜を明かした------------と、通常では誰もが為し得ない凄い体験を得たのですから大満足して帰って来ました。

Elena Gerhardt


 YouTubeで検索した女性歌手「エレナ ゲルハルト」。
 この歌手の「ライエルマン(冬の旅から)」も結構いけますな。
 昔の歌手のようで、レコードにはスクラッチ音が混在していますが、充分OKです。
 一度、お聞きになってみてはいかがでしょうか。

“ 哲学する ”


“ 哲学する ” -----------こう云ったのは誰であったか忘れてしまいましたが、確かに居ましたよ。

ともあれ名詞をそのまま動詞に変換して使用する事が許されるものかどうか、世の中に波紋が生じたのを覚えているのですが。

「ライエルマン」シューベルト



「ライエルマン」はシューベルトの歌曲集「冬の旅」の最後の曲。淋しい曲ですよ。

 この曲を実際に聞いた事がありました。高校時代だったと思いますが--------- 歌手は 木下保、当時のナンバーワンのバリトンだったでしょう。
 会場は山形市の小学校の講堂(なにせ、当時は公民館等の公共施設は何も無かった時代)分けの分からぬ者どもを含めて、押すな押すな、の大混雑大盛況でした。

 終わったその日の夜、今度は、そちら関係の方に頼まれて?宿舎の旅館に一緒に出向いてレポート記事の原稿を書かされたのでした。
 詳しい記憶は勿論残っていませんが、一緒の席に座られた伴奏のピアニストの方、美人でしたなあ--------暫くは、そのイメージが残りましたね。
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 木下保 きのした-たもつ
1903-1982昭和時代テノール歌手,音楽教育者。
明治36年10月14日生まれ。昭和7年ドイツにわたりベルリン音大にまなぶ。帰国母校東京音楽学校(現東京芸大)教授をつとめるかたわらリート歌手として活躍。21年辞職し,藤原歌劇団のオペラ出演した。昭和57年11月11日死去。79歳。兵庫県出身
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冬の旅の最後は「ライエルマン」、とにかく暗〜〜い 曲ですよ。

Der Leiermann.

Drüben hinter'm Dorfe
Steht ein Leiermann,
Und mit starren Fingern
Dreht er was er kann.

Barfuß auf dem Eise
Schwankt er hin und her;
Und sein kleiner Teller
Bleibt ihm immer leer.

Keiner mag ihn hören,
Keiner sieht ihn an;
Und die Hunde brummen
Um den alten Mann.

Und er läßt es gehen
Alles, wie es will,
Dreht, und seine Leier
Steht ihm nimmer still.

 Wunderlicher Alter,
Soll ich mit dir gehn?
Willst zu meinen Liedern

Deine Leier drehn?


2010年7月30日金曜日

人間


「宇宙人」で検索すると大量に出て来る宇宙人?、この写真も その一つですが。

 この宇宙人はまずとして、この世に何故人間が出て来たのかも本当のよころは全く解りませんね。
 尤も、それは神様の思し召しがあったればこそ、と申されれば 何をか況やですが-------。

 これを見ている貴方、どう思われますか。

 加えて、貴方は何故 これを じっと見ているのでしょう?。

恐竜絶滅




 上二枚は、本日のテレビ放映画面からですが、恐竜が何故あの時代に繁栄したのか、いろいろ考えてみるのですが到底理解出来ませんね。
 まあ〜その後、巨大隕石がやって来て大部分が絶滅してしまった、との論法で決着をつけている-----------それが又インチキ臭い??のですよ。

 とか申して、それならどう説明をするのか、と申されても こちらには反論するだけのモノは何もありませんが。
 まあ〜申す事があるとしたら、本当は全く違った理由からなのではないか?-------漠然と、そう思っているだけなのですが。

 つまり、将来、全く違った解釈が為される可能性がゼロではない、と、そう確信している??次第。

2010年7月29日木曜日

散歩道から



 これまで同じ写真を何度か載せましたが、これも本日現在の同じ写真です。
 ともあれ、住宅密集地の中に、このような人跡未踏??の森林がある事自体が希有だと、いつもながら思っている次第なのですよ。
 いずれ又、同じアングルからの写真を載せると思うのですが、ともあれ、これが本日現在の姿です。

誕生会

我が家での誕生会。ご本尊は誰だったのか、もう忘れてしまいましたね。

「まる」はテーブルの下。結構 おこぼれもあったようですナ〜〜。

散歩道から


 今日は雨模様で「まる」との外歩きは ちょっと無理のようでした。
 出たところで 早々に引き上げました。

  別件
 昔々のモノクロフイルムでは空模様を写しても、このような濃淡としては出ませんでしたね。
 単に灰色一色だったと記憶しています。
 フイルムのラチュードに限界があったと思うのですが? ------------。

 写す時はどうしたか?、Y2程度の黄色いフイルターを利用したものでしたね。

石炭ストーブ

 ストーブと云えば、昔は石炭を燃やすタイプが殆どで、形状となれば長い間 このダルマストーブ型 が全盛を極めていたような気がするのですが、いかがでしょうか。

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 ただ、昔々、私の通った当時の山形市の小学校でのストーブは、ダルマストーブではなくして、センターストーブと呼ばれていたスマートな?タイプ(載せたのは、それに類似するタイプ、但し、記憶に残っている正確な形状のは出て来ませんでした。)でしたね。
 つまり、それ迄は、ストーブと云えば常にこの形を思い浮かべていたものでした。

 右の写真は、その小学校ですが、屋上の突起物?は、すべてが、それの煙突-------機能的にも デザインとしても完璧な感じでしたね。(但し、この小学校は現在全く違った校舎に建て替えられてしまいましたが。)

  最近はどうか?---------大体、ストーブって公共の場で見られるのかな。まあ〜ストーブそのものは見られたとしても、家庭用も含めて、その殆どは石油ストーブ(又は電気ストーブ)に代えられて、石炭式のは とっくに消滅している---------- それが正解でしょう。

2010年7月28日水曜日

7月28日


 7月28日は私の誕生日
 世界には、各年の その日どのような事が起きていたのだろうか。

甲乙丙


 私の小学校時代の算数問題、一年生の時のもの。

 満点なので、大威張り?で出させて頂きましたので-------(?)。
 それはそれですが、甲上(こうのじょう)、これが懐かしいですね。

 ランクとしては、 現在での 優 良 可 ではなくして、当時は、甲 (こう)、乙(おつ)、丙(へい)、の三段評価で、甲にのみ特別オマケで 甲上(こうのじょう)があったような記憶が残っていますが。

 この中で、乙は アヒル と呼ばれていましたね。そんな事で、乙が続いていると “ アヒルの行列 ” とか云っていましたよ。

 この評価が 優 良 可 に変わったのは いつからだったのか、戦争が終わったのが6年生の時なので、その後からだったのか----------はっきした記憶は残っていません。
 検索でも調べてみたのですが、はっきりしませんでした。

沖縄での戦争


 島内の奥地のいたるところの洞窟の中に飲まず食わずで隠れていた老幼男女の大群は、
 戦い済んでホッとした気持ちでゾロゾロと現れた----------説明文にはそうあります。
 戦争も、飛行機や軍艦が賑やかに動き回ってピカピカ撃ち合っているシーンは、
 申し訳ないが、メカニックみたいな面白さが確かにあります。
 又、それに似た好例として湾岸戦争はテレビゲームに思えた、と云う事もあります。

 一方、大勢の兵士が殺されて山を為している光景は大層無惨なもの、
 然し、その時点で決着ついているわけですから、見る側も覚悟が出来るとは云え、
 最も残酷なのは、大勢の市民が生き長らえて犠牲になっている場合でしょうね。
 載せた写真の、こう云うシーンは、どうしても目をそむけたい光景になります。

自重エネルギーを!


22馬力。電源コードで充電するか、屋根の2.5平方mのソーラーパネルから電力を作るか、
あるいは「force wheel」を使った風力で電力を作るという仕組みだそうです。
1回の充電で時速80kmの速さで160kmを走れるとのこと。価格は30,000ドル。
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これは、それなりに傑作だと思うのですが、この種の自動車に限らず、自然エネルギーの利用とは別に、
本体の重量そのものをエネルギーに転換 出来ないものか、いろいろ考えた事がありましたね。
勿論、こちらのアタマがアタマですから、簡単にギブアップしましたが、ともあれ発想そのものにエラーが
あるとも思えませんので、どなたかチャレンジなさっていかがでしょうか?。
一晩寝かせておけば翌日はスイスイと走れる---------------つまり、自重をエネルギーに転換する-----------これですよ!!。

誕生日

 私の誕生日と同じ有名人をアップしてみました。

  
   片山哲 元総理

 ※ 以下多数につき一部のみ

1880年7月28日  大原 孫三郎 (おおはら・まごさぶろう) 【経営者】 〔岡山県〕
1887年7月28日  片山 哲 (かたやま・てつ) 【政治家】 〔和歌山県〕 ※総理大臣
1896年7月28日  犬養 健 (いぬかい・たける) 【政治家】 〔東京都〕
1919年7月28日  長洲 一二 (ながす・かずじ) 【経済学者】 〔東京都〕
1923年7月28日  渡辺 美智雄 (わたなべ・みちお) 【政治家】 〔栃木県〕
1929年7月28日  ジャクリーン=ケネディ (Jaqueline Kennedy)【ファーストレディー】〔アメリカ〕
1929年7月28日  笹原 正三 (ささはら・しょうぞう) 【レスリング】 〔山形県〕
1934年7月28日  小山 正明 (こやま・まさあき) 【野球】 〔兵庫県〕
1938年7月28日  アルベルト=フジモリ (Alberto Fujimori) 【政治家】 〔ペルー〕
1939年7月28日  マッド・アマノ (まっど・あまの) 【グラフィックデザイナー】 〔東京都〕
1945年7月28日  セルジオ越後 (せるじお・えちご) 【サッカー】 〔ブラジル〕
1963年7月28日  ライオネス飛鳥 (らいおねす・あすか) 【格闘家/プロレス】 〔埼玉県〕
1977年7月28日  雅山 哲士 (みやびやま・てつし) 【相撲】 〔茨城県〕
   --------------------- その他 -------------