2015年12月26日土曜日

あの頃の記録から

サイパン島 最後の攻撃



われは信ず

一、ジヤングルに深くこもれば雨は夜々肌へを洗ひ壕内に日々を送りて敵弾を常に浴びつつ いつの日に友軍機飛び糧来るや われらは知らず されどただわれらは信ず われらは勝つと

二、幾日ぞ弾丸(たま)を撃たざる幾日ぞ米を喰はざる 屋根なせる「星」の翼(「星」とはこの場合「星条旗」を指す)ジャングルに木のかげは失せ嵐なす敵の弾丸につぎつぎに友はたふれぬされどなおわれらは信ずわれらは勝つと

三、みかへればやせさらばえて肉そげし ほほよ 腕(かひな)よ よし弾丸は免れ得とも長くよし 生きてあるまじ友軍機いまだ飛ばざる 糧秣(りょうまつ)も遂に来らずしかも尚われらは信ず 御国は勝つと        
吉田 嘉七


ここにして これありこれぞ この米のかゆ 
はろばろと数千里よよあし原みづほの国のみたからだ 
ひととせを汗にまみれて磨き上げたる 真珠宝石 
わだつみの逆巻く潮をのりきりて 
いのちに代へて海軍さんの護り来し神のたまもの 
敵機の下をころびて雨なすたまの中はひつ 
汲みたる水を 飯盒にいれ爆撃ごとに火を消して 
去りては又焚きつけつとめて煙出さぬごとく 
ねじり鉢巻して焚き上げたるこの味は二つなし 
いささかの塩っぱい海水にとぎしたの
(1字不明)も(わが涙までまじりしならじ)
いざ喰らへわが戦友(とも)よ 
喰はで死にしわが戦友(とも)よ 
これぞこの米の粥ぞ
     
吉田 嘉七

---------- 当時の私共は小学校5年生、この詩文は、その時の担任の先生が黒板に書いて下さったのを書き写したもの。

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