昭和20年3月19日の新聞
畏くも天皇陛下におかせられては空襲の災害を蒙むりたる民草(註; たみくさ と読む。我々一般庶民の事)
の上を御〇念(註; 〇の所の文字はどうしても読めず、又、このパソコンにはその漢字のストックもない)
あらせられ、三月十八日帝都の戦災地を一時間に亘り御巡行あそばされた。特に深川区内、富岡八幡宮焼跡にては
御降車、大〇?内相よりの奏上を聴召され、救護に万全を期せよとの有難き御慈悲の御言葉を賜った。」
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なお、昭和20年3月16日の少国民新聞には下記のように書いてあります。
被害者に大御心
畏(かしこ)し災害報告を聞(きこ)し召さる
畏きあたりにおかせられては、敵機の空襲下にある国民の様子を深く大御心にかけさせられ、度々その報告を聞き
召されたと承ります。
なほ10日の帝都空襲に関しては12日徳大寺侍従を非公式に視察のため御つかはしになられました。
侍従は大御心を拝して終日各所を巡視、細かに被害の有り様、防空活動、救護などについて復命内奏申し上げました。
※ 天皇陛下は畏れ多いので間接的に御呼びする場合などでは、「畏きあたり・・・」「かしこどころ・・・」
と申し上げていましたね。
-----それにしても、もう何年前になるのでしょうかなあ〜。ホント〜大昔のハナシに思えます〜。
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