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「昔は良かったか。」との設問にはイエスかノウかの答えだけで中間はなさそうです。但し、時と場合によってはイエスとノウが常にひっくり返ります。その時の都合で立場が変転するわけです。然し、どちらにせよ軽口ですから人畜無害、つまり、どうという事はありません。
私の「昔」はどうだったか。これも同じで、見方によっては「良かった」となるし、逆に「悪かった」ともなりそうです。
然しながら、私の「昔」は子供の頃、それは戦前から戦中、そして戦後、となるので、本当を申せば、その「むかし」が良いわけはありません。まず食料についての健康対策が貧弱でした。戦時中だからというだけではなくして、あまりにも米中心の食生活だったので、栄養が偏り過ぎていたのかも知れません。然し、山に行けば山菜取りなども結構出来たので、生きて行く智恵と努力が多少足りなかったと云われてもやむを得ませんね。
着るものはボロボロ。それにしても当時は「機場(はたば)」と称する小さな織り物工場が方々に見かけました。本当は衣料品は充足していたのです。貧乏で買えなかった事もあったと思いますが、いつでも手に入る気安さからボロでも構わなかったとも云えそうです。
電気がつくのは夜だけでした。三部屋に60ワットの裸電球が一つ。
滅多に沸かさない風呂では薪を使っていました。又 コンロは電気ではなく炭です。----その他、あげればキリがありません。
「おぢいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは・・・・」こんな文句がぴったりするように、実際に山で燃料用の木を伐採している男達の姿も散見出来た時代でした。又、山に行けば「炭焼ぢいさん」がちゃんといて、本当に炭を焼いていたのです。 ただ、大昔とは違って、住宅地への送電が可能なだけの小さな発電所などがあったのですから確かに昭和の時代ではありました。
私の住んでいたのは山形市、市とは云え当時は文字通り「山の中」の寒村です。海からは遠いので魚は干物が中心、刺身など殆ど食えません。
然し、川魚が豊富、手当りしだい釣って来た鯉や鮒も結構食ったもの。
果物は 桜桃や梨、柿、りんご、ぶどう、など。従って、ビタミン欠乏症になる心配は無用でした。
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