どうしてもラジオが聞きたい時は、近所のお宅にお願いに行くことで、まあ〜そこでは大相撲などの番組などを 畏まって?〜聴くほかありませんでしたなア〜。
ただ、戦争も後半になった頃は、敵機襲来の情報が 殆どとなりましたね。
それはそれ、我が家で待望のラジオ(中古品)を入れたのは、戦後間もなくの頃だったような気もしますが。
------------その頃と云っても、番組は確か朝夕に限られていたようでした。
戦後になってからですから、番組も解放されて、面白可笑しい庶民相手の番組が一杯になり、まあ〜いつ聞いても面白いと実感出来る番組で溢れていたようでしたね。
ただ、困ったことが生じて--------と云うのは、その時代ですから、各家で、どこでも同じだったと思われるのですが、ラジオからリード線が出ていて、それがアース線として窓などから先端に真鍮の棒などを土の中に埋め込まれるような仕組みになっていたので、それを目当ての真鍮泥棒に手を焼いたものでした〜。
その当時は、真鍮 は當然ながら、銅線であれ アルミであれ何の金属であれ、高価に売れたのですよ。
---------そんな時代もありましたなア〜と云った ひとくさり でした。
※ 載せたラジオの画像は検索からお借りしました。
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