1年生から卒業まで過ごした 忘れられぬ学び舎(まなびや)〜。
2年生の時に戦争が始まり、6年生 卒業の年 が終戦でした。
当時から、建物にはいろいろ問題がありましたね。なにせ、田圃を埋め立てて、そこに建造したとの事で、大袈裟に申せば 校舎の重量のため、いずれ埋没する、とか、それが 何時も語られていたようでした。
現在は確か消滅して 全く違った別の校舎になっていると記憶していますが。
まあ〜それはそれとして、農村地帯が中心だけに、その中に聳え立つ風格は持っていましたよ。
我々の時代は 戦時中だっただけに、校舎を航空母艦に見立てて、月に一度だったか、児童一同で 甲板掃除を?やらされたものでしたナ〜。
中央部の屋上には、戦時中ですから監視所なる防空関連の設備がセットされ、昼夜を問わず若い担当者達が見張っていました-------。
-------- まあ〜語りたい事は まだ いくらでもぎっしりと残っていますね。
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