2010年10月30日土曜日

ブーゲンビル島沖海戦

 
 

ブーゲンビル島沖海戦(ブーゲンビルとうおきかいせん)とは1943年11月2日太平洋戦争中にブーゲンビル島の攻防で生起した海戦ブーゲンビル島エンプレス・オーガスタ湾において大森仙太郎少将(第5戦隊司令官)指揮の日本艦隊とスタントン・メリル少将指揮のアメリカ艦隊が交戦した。アメリカ軍側の呼称はエンプレス・オーガスタ湾海戦。

11月1日、連合軍は日本軍の拠点を避け、ブーゲンビル島エンプレス・オーガスタ湾に襲来し、タロキナに上陸した。これに対し、日本軍はタロキナへの逆上陸を企図し、日本艦隊は15時30分にラバウルを出撃したが、その後、天候不良などから上陸困難と判断されて逆上陸は中止となり、輸送隊は引き返した。
一方、アメリカ軍は19時45分に偵察機が日本艦隊を発見、第39任務部隊はエンプレス・オーガスタ湾外で迎撃体制をとった。
この夜は霧雨で視界が不良だった。2日の0時27分、アメリカ艦隊はレーダーで日本艦隊を発見した。0時45分、日本艦隊もアメリカ艦隊を発見した。0時49分、アメリカ艦隊がレーダー管制射撃で砲撃を開始。日本艦隊の第5戦隊は照明弾を発射し、川内、時雨、五月雨が魚雷を発射した。0時52分、白露と五月雨が衝突、さらに1時07分に妙高と初風が衝突した。初風は航行不能となり、その後、アメリカ艦隊の砲撃により沈没した。また、川内も砲撃を受けて大破し、5時30分に沈没した。
アメリカ艦隊側はフートに魚雷が命中し、中破。体勢を立て直した日本艦隊はデンバーとスペンスを砲撃で損傷させたが、夜が明けると空襲を受ける恐れがある上、アメリカ艦隊が煙幕を張って転舵したことから有効打を与えたと誤認し、日本艦隊は退避した。
結局、連合軍のタロキナへの基地建設阻止は失敗した。この海戦後、大森少将は解任された。
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 この海戦については記憶がしっかりしているのですが、戦争はまだ中期の段階だったので、新聞切り抜きはありません。
 ブーゲンビルとの言葉の響き?がよかったので、記憶は今に至るも かなりキチンと残っていますね。
 一方の大東亜会議も、それなりの記憶は残っていますが、いずれにせよ、まだまだ戦勝時代?だったので、単に喜んでいただけでしたね。

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