2011年4月21日木曜日

ボルネオ油田

 
 
 日本軍占領中のボルネオ油田地帯の中心、パリックパパンに対するB24による大空襲により、日本軍の頼みとしたボルネオ大油田地帯の中心、パリックパパンは豪州軍の上陸奪回する前に既に死滅してしまっていた。
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 つまり、日本軍は、陸軍歩兵隊等によって蟻の如く攻め入る戦法には滅法強かった---------とは云えても、その後の戦略に完成図を持たなかった----とでも云えたのかどうか、占領しっ放しで終わっていたケースが多かったのではありませんか。
 これでは敵の反撃に無謀無策で対応せざるを得なかったでしょうね。
 とにかく、攻めるには強くても、一旦、護りに入ると、全く無能無策で、全滅の悲哀を味わって終わったケースが多かった気がしますよ。
 二枚腰は柔道のワザのみで、戦闘では、粘りも何もなく、簡単に玉砕を重ねて終わったような気がするのですが。

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