昭和21年3月20日 毎日新聞の切り抜きから。
左端のコメントは、後年 書き加えたもの。
本日、検索で知り得た事が以下。
1946年(昭和21年)1月から爆発が頻発するようになり同年3月9日に火口から溶岩の流下が始まった。
大正大噴火とは異なり噴火前後の有感地震はほとんどなかった。3月11日夜から連続的に噴火するようになり、
対岸の加治木町(後の姶良市)や国分町(後の霧島市国分)から火柱が観察されている。大量の火山灰を噴出し、
牛根村(後の垂水市牛根)では3センチメートルの厚さに降り積もった。
火山灰の影響で同年5月に持木・野尻地区でたびたび洪水が発生している[11]。
溶岩流は鍋山付近で南北に分流し北側は黒神地区の集落を埋めつつ4月5日に海岸に達した。
南側は有村地区を通過し5月21日に海岸に達した。死者1名、噴出物総量は約1億立方メートルであった。
この噴火は同年11月頃に終息したが、その後も散発的に噴火が起きている。
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