芋煮会となれば戦前戦後を経て、現在に至るも行なわれている山形独特のレジャー?でしょうね。
市街の端を流れる「馬見ケ崎 (まみがさき)川」添いで行なわれるのが通例だったようで。
現在は、このような巨大な鍋を使用しての、夥しい大衆によるレジャーのようですが、戦中から戦後にかけては、町内会や、高校などの団体〜とかの、 素朴で 、とても行事 とは思えない大勢さんの 集まりで行なわれていましたよ。
(画像は検索より お借りしました)。
真ん中に座っているのは町内でも年寄りの長老?で、何やら浪花節の一節を唸っているところ。
周囲は、婦人会のメンバー、子供達、そんなもんで、大の男達の姿は、まず見受けられない頃でした。
これは戦中での集まりですが、私共の戦後でとなると、高校時代、クラス一同でも何度か出向いた事がありましたね。
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