その時の学校に どのような狙いがあったものやら、多分9月の中頃だったと思うのですが、蔵王温泉迄の一泊旅行が行なわれました。
学校としては、敗戦による暗い気分を払拭させるため、と、そんなネライも多分あったのでしょうか。
まあ〜それはそれ、戦争直後の頃ですから、戦災に遭わなかった私共とは云え、全員 ボロに纏った乞食の群れ、と云ったところでしたね。
-------ともあれ、道すがら、ぞろぞろと、乞食よろしく歩いている向うの道に、突如 一台のジドウシャ!〜が砂煙をあげて走り去って行ったのを見たのですヨ〜。
ヒャア〜と驚きましたなア〜。
ジドウシャとなると、日常的に見られたのは 乗合自動車(バス)、それに 貨物自動車(トラック)。
その いずれもが、車体が木造のチョーお粗末なジドウシャでしたよ。
加えて、それらの、いずれもが、ガソリンではなく‘ 木炭 ’ で動く稀有なタイプでしたね。
いずれにしろ、そんな自動車でしたから、走ると云っても、なんとなく ガラガラと地面を引き摺って走る、と、今でも、そう思えるシロモノでしたなア〜。
そんなアンバイだったので、目の前に見た毛唐(ケトウ----外人に対する蔑視語)のジドウシャ(この場合はジープ)が、ス〜と走っていくサマが、オーバーに申せば、この世のもの〜とは思えないイメージで私共の目に飛び込んで来たのでした!〜。
米軍の進駐は、このような雰囲気の中で 期間中 行なわれ、かつ持続していった事でしょう--------------。
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