これで思い出すのは、前にもカキコしたような覚えもあるのですが、私共は、戦後になった中学の頃、市内の舗装道路を主に、 なんとなく滑った記憶------それがあります。
スケートと云っても、これも前に載せた記憶があるのですが、長靴に紐で結わえ付けて装着するやり方のでしたね。
但し、市内の舗装道路と云っても、当時の舗装道路とは、大きさはタタミで云えば、何畳分かのコンクリート板を敷き詰めて出来ている道路でした。それで別に問題は無かったのですが、有るとしたら、そのタタミ? のつなぎ目が危険でしたなア〜。
クルマに対してはどうしたのか?〜クルマとなったら、木炭を燃料とする 乗合自動車、貨物自動車(トラック)そんなところ。それ等が走るのは、その殆どが昼間でした。
夜は 商店街であれ、繁華街であれ、賑わったとは云っても、これまた、6時も過ぎれば客は来なくなった筈なので、その時が来ると 閉店するのが一般的だったような気もします〜。
結局はスケートが出来たのは、人通りが少なくなる夕方遅くから夜にかけての頃だったでしょうか〜。
ただ、繁華街の道路がアスフアルトになったのは、記憶はありませんが、當然ながら、進駐軍が来てからで、それと同時に、スケートも多分 禁止となったでしょうね。
以上、そんなこんなの、遠い遠い記憶が蘇って来た次第でした。
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