2012年5月18日金曜日

「天子様」論争。



 戦時中であった小学校3〜4年の頃、多分、どこでもあった口論だったと思いますが------。

 子供達とは云え、まず、天子様(天皇陛下)は神である---これは絶対的な認識でした。従って、神様である天子様は「屁」などしない。天子様が人間の姿をしているのは、臣民に分り易いように神が作り給うた仮の姿。人間であって人間ではない存在なのだ。------。

 この論は、子供であっても、とにかく天下国家に気を使い、それなりに身につけた論理に従って主張をし、納得していた内容だったのだと思いますが...。

 一方、ノーテンキな子供達は、天子様は神とは云え、それは単なる人間同士の約束事だから、人間である事には変わりはない。従って、屁もすれば糞も垂れて当然である。

 ----- まあ、まとめて云えば、両者の主張はそんな骨子だったと思いますね〜。

 加えて云えば--------そんな事はどうでもよい。考えない方が妥当だ----この立場、それは女子生徒に多かった主張のようでした。

 私はどうだったか、勿論、「屁などブウブウしていて、糞もドカドカ垂れている。」と云う極論を主張していましたよ。
 子供の論争ですから、文字通り、首に青筋をたてキーキー声を張り上げ、お互いモーレツに頑張り合っていましたなア〜。


 ------当時はそんな時代でした。然し、この論争は子供であったからこそ出来たのであって、並みの大人達には当然ながら許される論争ではなかったと思いますが〜。
 論争したとしたら不敬罪で逮捕され牢獄にブチ込まれたでしょう。
 そんな意味では、小学校時代の少年には、あからさまに人間の仮面を剥ぐ点に於いて、衒いもなく分別もないだけ赤裸々な形で見通す眼力があり、それだけに正鵠を得た見識?があるのではないかと思いますよ〜。
 常識に捕われない天真爛漫な考えが漲っていると思うので仇疎かに出来ませんね。


 因に、天皇陛下は「天子様」の呼称で通りました。ちょっと改まった大人の言葉には「上御一人(かみごいちにん)」これが多かったようです。
 皇居は当時は「宮城(きゅうじょう)」と呼ばれていましたね。
「宮城に住んでおられる天皇陛下におかせられましては。」---一般的には、これでOKだったと思いますが、当時の新聞などを眺めてみると「畏きあたりにおかせられては、」と、間接的な表現が多く見られます。
 ダイレクトな表現は避けたいとする心理があったのでしょうか。

 思うに、これだけ神格化された統治者は、世界広しと云えども日本だけであったような気がしますが?〜。
 当時のドイツやイタリ、更にソビエトなどの独裁国家に於いても「神様」までは至っていません。まして作今の〇〇国だのの「将軍様」程度の呼び名では、足下にも及びませんね。

 多くの新興宗教とも違っている点は、教祖様が直接前面に出て来る事がなく、すべてまわりの人間共が「神様」を隠れ蓑にして、意図的に超現実的な政治を行なったと云う点です。
 教祖様はその頂点に乗っかって鎮座ましましていただけ、それだけに可哀想な方〜とも思っていましたよ。

 -----それにしても、日本人には、どこか、そんな虚構によって作り上げられた奇妙な政治を許してしまう風土があるのではないか、と思いたくなる時が確かにあります。

 いくら「神様」と呼ばれようと、人間である限り下卑た仕草はやらざるを得ないのです。それを忘れたら再び「屁」の論争が始まります。そんな論争を繰り返しては本当にバカバカしい限りです------。

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