2013年1月20日日曜日

開戦の詔書


かつての今日に 大平洋戦争が始まった訳でもないのですが、参考のためと思い その時の詔書(昭和十六年十二月八日)を載せてみました。
お読みになってみて下さい。
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米英両国ニ対スル宣戦ノ大詔 
 天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践(ふ)メル大日本帝国天皇ハ昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝(なんじ)有衆(ゆうしゅう)ニ示ス 朕(ちん)茲(ここ)ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡(つく)シ億兆一心国家ノ總力ヲ挙ケテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
 抑々(そもそも)東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ丕顕(ひけん)ナル皇祖考丕承(ひしょう)ナル皇考ノ作述セル遠猷(えんゆう)ニシテ朕カ拳々措(お)カサル所而シテ列国トノ交誼ヲ篤クシ万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)ニスルハ之亦帝国カ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル洵(まこと)ニ已ムヲ得サルモノアリ豈(あに)朕カ志ナラムヤ中華民国政府曩(さき)ニ帝国ノ真意ヲ解セス濫(みだり)ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ攪乱(かくらん)シ遂ニ帝国ヲシテ干戈(かんか)ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有余ヲ経タリ幸ニ国民政府更新スルアリ帝国ハ之ト善隣ノ誼(よしみ)ヲ結ヒ相提攜(ていけい)スルニ至レルモ重慶ニ残存スル政権ハ米英ノ庇蔭(ひいん)ヲ恃(たの)ミテ兄弟尚未タ牆(かき)ニ相鬩(せめ)クヲ悛(あらた)メス米英両国ハ残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱(からん)ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿(かく)レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞(たくまし)ウセムトス剰(あまつさ)ヘ与国ヲ誘(いざな)ヒ帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与ヘ遂ニ経済断交ヲ敢テシ帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡(うち)ニ回復セシメムトシ隠忍(いんにん)久シキニ弥(わた)リタルモ彼ハ毫(ごう)モ交譲(こうじょう)ノ精神ナク徒(いたずら)ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈従セシメムトス斯(かく)ノ如クニシテ推移セムカ東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡ニ帰シ帝国ノ存立亦正ニ危殆(きたい)ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然(けつぜん)起(た)ツテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破砕スルノ外ナキナリ
 皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚(しんい)シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘(かいこう)シ速ニ禍根ヲ芟除(さんじょ)シテ東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス

 昭和十六年十二月八日

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終戦と時の詔書は「〜堪え難きを堪え、忍び難きを忍び〜云々」とあってか、そちらの方は よく知られていると思うのですが、こちらの方は殆ど知られてないようなので、単に参考のためとして載せてみましたので〜。

 なお、私は、その時は小学校2年生で、何となく開戦の日として覚えてはいますが、校長先生がお読みになられたかも知れないこの方は、残念ながら、はっきりとなると当然ながら覚えていませんね。

因に、文言は それなりに しっかりしていますが、やはり かなり一方的な言い分である事は免れないところでしょう。

 ------------ これに類する陛下から下される勅語の類には、御覧になれば判る通り、句読点なるモノは一切ありませんから、それにもご注目下さい。


こんな難しい勅語を考えて書き上げる天皇陛下は 相当に頭がいい方だ、と本気で思った事もありましたね。



 ※ 資料は検索から お借りしました。

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