2010年3月13日土曜日

歌声喫茶


 以下 Wikipediaより

リーダーの音頭のもと、店内の客が一緒に歌を歌うことを主目的としている。伴奏はピアノアコーディオンのほか、大きな店では生バンドも入っていた。歌われる歌はロシア民謡唱歌童謡労働歌反戦歌歌謡曲など。店が独自に編纂した歌集を見ながら歌うこともできる。
1950年(昭和25年)ごろ、新宿の料理店が店内でロシア民謡を流していたところ、自然発生的に客が一緒に歌い出して盛り上がり、それが歌声喫茶の走りになったといわれる。また、当時公開されたソ連映画シベリア物語」に同様なシーンがあり、これに影響されたともいわれている。[1]
1955年(昭和30年)、新宿に「カチューシャ」、「灯(ともしび)」がオープン。これをきっかけに東京都内に歌声喫茶が続々と誕生する。労働運動学生運動の高まりとともに人々の連帯感を生む歌声喫茶の人気は上昇し、店内は毎日のように人であふれ、最盛期には全国で100軒を超える店があったという。また店の看板的存在であるリーダーの中からは、さとう宗幸上条恒彦のようにプロの歌手としてデビューした者もいた。
歌声喫茶はうたごえ運動という政治運動において大きな役割を果たしたが、それだけでなく、集団就職で地方から単身上京してきた青年たちの寂しさを紛らす心のよりどころでもあった。
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 ありましたねえ〜、私も随分と出向いて蛮声?を張り上げて歌ってましたよ。
 ただ、さすが時代のせいで、現在は、その姿は全く見られません。

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