2010年11月17日水曜日

巡洋艦「最上」と南雲将軍

 
 
  • 濃霧の中で潜水艦の襲撃を受けて回避中に、最上と三隅が衝突、三隅は速力が落ちたところをエンタープライズの艦載機に追い討ちをかけられて沈没し、最上は大破(写真)された。
  • 本隊から後落し退却中を米艦載機の徹底した波状攻撃を受け大破炎上。ミッドウェー島北西600浬の地点で沈没(雷撃処分説あり)。
  • 8月10日 除籍。
  • 南雲忠一に対する批判と擁護論 [編集]

    本作戦における南雲に対しては、兵装転換による無駄な時間を生じた点などで、その作戦指揮に対する批判が多い。また、それに対して当時の背景状況や、部下の進言・不手際にこそ問題点があったとする反論もみられる。なお、これらについては、南雲忠一の記事にも詳しい記載がある。

    指揮官としての経歴やパーソナリティに関する問題点について [編集]

    南雲は、本来水雷戦隊を率いての戦いが専門であり、航空戦を理解しておらず、敵の見えない戦いについての訓練もされていなかった。しかもリーダーシップに欠けて優柔不断だったといわれる。航空隊の指揮官だった淵田は後に、自著に「少々耄碌(もうろく)していた」と記している。
    こうした批判に対しては、そのような人物を年功序列で司令官においていた海軍の人事自体も問題視するべきで、ミッドウェーの敗因を南雲ひとりに負わせてしまうのは酷であるとする意見がある。

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