2010年11月24日水曜日

昭和天皇


 

 

 天皇家について不思議に思う点が何点かあります。この写真でもそうですが、海に入られて戯れるにしてはどうして背広を脱がれないのか、まして帽子くらい取ったらいかがか、と思うのです。かなりくだけた情景であっても帽子と背広姿は変わりませんね。お傍の方々には、それらについての発言力?は無いもんなのですかね。

 次に、天皇出席の晩餐会でも多分そうだと聞き及んでいるのですが、 日本古来の日本料理、懐石料理(つまり和食)それらが何故出てこないのか、これもあります。相手の国に合わせて相手の国の料理を出すのなら、まだ分かるのですが別にそれもそうではないようです。

 次は、天皇陛下の和服姿を拝見したことがありません。常に洋服姿です。外国の首脳が民族衣装に身を固めて公式の場に出席される姿を見ますが、日本では大日本帝国時代であっても、ついぞ天皇が民族衣装(和服)を着た例は見たことがありませんでした。

 更に、天皇陛下と皇后陛下が並ぶ場合の並び方は、日本古来の並び方、つまりお雛様のように、向かって右に陛下、左に皇后、と、そう並んで然るべきかと思うのですが、実際は逆です。逆だという事は、欧米式の並び方です。その理由はどこから来たのか分かりませんが、とにかくそう並びます。これも不思議な事ですね。

 ※ 因に、雛人形の飾付けは、現在は向かって左に男雛、右に女雛、そうなっていますが、これは現在の皇室の並び方に準じているからです。昭和3年の天皇即位式からそうなったとの事。

 然し、本来は「天子南面」という考え方に立ち、両陛下が南を向いて立たれた時、向かって右、つまり日の出の方、それが男性の立つ位置で、日没の方向、向かって左に女性が立つのが正しいとされています。これは又、男は左腰に太刀を差す関係で、抜きやすいように、そしてそれを使って女を護りやすいように、必然的に,向かって女の右側に男が立つようになっている、という説にも繋がります。従って、伝統的な古式床しき雛人形では、昔の位置そのままの姿で並べられています。

 問題は、昭和3年の天皇即位式から何故逆になってしまったのか-----です。皇室の欧米化を急いだせい、と申し上げたら失礼になるのかどうか、知りたいものです。確かに、西欧では男が左、女が右、です。西欧には西欧なりの理由があると思いますが、単純に日本の皇室がそれを真似しただけだとは一寸考え難いのですがどうでしょうか。

 ※ 写真 左端が天皇(昭和天皇) そばの子供が時の皇太子(現・天皇)。昭和21年4月5日付(写真詳細説明文はカット)。
  葉山のご用邸ウラの一色海岸、とあります。
 現天皇は、私と同じ年なので、この写真を添付していた当時の私も、同じだったとなりますね。

 写真は、 私の新聞切り抜き保存分から。
 もう一枚の赤茶けた写真は それをネットにアップした分からです。

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