2012年5月14日月曜日

日食


  かっての日蝕を思い出しました。北海道、礼文島での金環食です。昭和23年9月の事でした。
 私の町 山形市では部分食でしたが、当時の私は中学時代くらい・・・熱心に観察しましたよ〜。
 当時の記録から新聞紙面の切り抜きも入れておきますが〜、ただ 小さ過ぎて ちょっと判読がムリのようですが〜。

 その時の新聞写真を見て、改めて思うのですが・・・・
 大きさも距離も、運動の速度 経路 、その他あらゆる要素すべてが違っている月と太陽、その両者が どうして こうもキワどい形状を示すのか?〜、
 それを展開させる自然の意図?が判りませんね。とにかく偶然にしては出来過ぎているのですよ。

 人間の叡智を超えた何か自然の・・・かくあらねばならぬ!...との強烈な意思を感じ取れるのですが 〜〜??・・・・。
 自然 にとっては、人間の叡智など、取るに足らぬゴミみたいなもの-----
 そうなのではありませんか?。実際は、もっと巨大な底知れぬ力をもって君臨している・・・これこそが自然だと思いましたね。

 ※ 新聞写真に「ベイリーの『珠数』」とありますが、変だと思って検索したら『数珠』とあります。左右が違っていますよねえ。“アラ拾い”で申し訳ありませんが。
 然し、感じから云えば「数珠」よりは「珠数」の方が 文字の並びからして 正しいような感じがしますね。
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 “ 天かけて むら雲晴れてすがすがし
天津(あまつ)日が見ゆわが胸おどる ”
    東京天文台長 萩原雄祐

 金環食は、学術的には それ程の価値はない、とされています。ただ、そんな価値の少ない日蝕でも、戦後の日本にとっては数少ないイベントとして大変な話題になったものでした。
 時の東京天文台長の萩原雄祐氏は感動のあまり一句 詠んでいましたよ。今では全く考えられませんね。
           









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