私の小学校時代、それは戦争只中の時でした。
幸いにして、私の故郷、山形市は敵の空爆も無く、それだけは幸運でしたが、学校も学校ならではの勉強からは程遠い空白の期間の長い学校生活が続きましたね〜。
それはそれとして〜〜。
戦争も激しさを増した五年生からは、それまでの女の先生から男の先生に代わりました。
優秀な先生でした〜。
ある日のこと、先生が黒板に書き連ねたのが以下の「ガダルカナルの戦(いくさ)」。
この時写し取ったノートには日付けはなかったのですが、ノートの前後関係から、多分昭和20年の春頃ではなかったかと思われますが〜。
教室全体が重苦しく深い沈黙に陥ったのを覚えています。
この詩を全員に写し取るように先生が命じた記憶はありません。従って全員が写したか、又は何人かがそうしたか、それとも私一人だけが写し取ったか、それも分かりませんね。
ともかく悲痛なその詩は半世紀以上、こうやって私の手許に残る事になったのです。
ガダルカナルの戦(いくさ)
粥
ここにして、これあり
これぞ、この米のかゆ
はろばろと数千里
よよ あし原みずほの国のみたからだ
一と年(ひととせ)を汗にまみれて
磨き上げたる 真珠宝石
わだつみの逆巻く潮を
のりきりて
いのちに代えて海軍さんの
護り来(こ)し神のたまもの
敵機の下をころびて
雨なすたまの中はひつ
汲みたる水を、飯盒(はんごう)にいれ
爆撃ごとに火を消して
去りては又焚きつけ
つとめて煙出さぬごとく
ねじり鉢巻してたき上げたる
この味は二つなし
いささかの塩っぱい海水に
とぎしたの(一字不明)も
(わが涙までまじりしならじ)
いざ食らえ
わが戦友(とも)よ
食はで死にし
わが戦友(とも)よ
これぞこの米の粥(かゆ)ぞ
-----吉田嘉七------
※これを先生が黒板に書き連ね、それを私共が書き写している間は、教室には 咳 ひとつありませんでしたね。
こんな詩を知っていた私共が 現在に至ってインパール作戦の失敗を知って忿怒の相を あらわにしたところで当然ですよ。
※この詩は、このサイトの別項目でも取り上げています。
----------------------------------------
以下の詩も、同じ。
(載せたノートの書き込み がこれです。)
ガダルカナルの戦
われは信ず
一
ジャングルに深くこもれば
雨は夜ゝ肌(はだ)へを洗ひ
壕内に日々を送りて
敵弾を常に浴びつつ
いつの日に友軍機飛び
糧来るや、われらは知らず
されどただわれらは信ず
われらは勝つと
二
幾日ぞ弾丸(たま)を撃たざる
幾日ぞ米を食はざる
屋根なせる「星」の翼に ※「星」は星条旗を表す
ジャングルに木のかげは失せ
嵐なす敵の弾丸に
つぎつぎに友はたふれぬ
されどなほわれは信ず
われらは勝つと
三
みかへればやせさらばえて
肉そげし ほほよ 腕(かいな)よ
よし弾丸は免(まぬか)れ得とも
長くよし 生きてあるまじ
友軍機いまだ飛ばざる
糧秣(りょうまつ)も遂に来たらず
しかも尚われらは信ず
御国(みくに)は勝つと
後年、この詩の作者を探したところ これも「吉田嘉七」と分かりました。
なお、この本は勿論 現代の本ですが、上に載せた詩文を始めとして、いろんな戦中の記録が載っている優れた本 ------ お忘れなく〜。
0 件のコメント:
コメントを投稿