2013年5月22日水曜日

新聞切抜から-- マニラ


私の 新聞切り抜き帳  からですが「血戦場マニラ」とあります。

日本本土を目指す米軍の進行を、ここマニラ(フイリピン)で食い止める、そのため防御力を築き上げ、要塞化する-------それを報じたその時の新聞からです。

 ---------- その結果はどうだったか?〜。

 詳しくは承知してませんが、米軍は、そのへんには全く手をつけず、専ら 空からの日本本土爆撃を行なう、と、その一点張りで、とにかくB29を飛ばすだけ-------結局は、このあたりは、その後のターゲットとされた筈です。
視点が違っていましたなあ〜。

ここマニラでの、その時の大日本帝国の軍隊は、かっての日露戦争での、露順攻撃等の戦歴を頼りに、その そっくりさんを築き上げたのでしょうかね〜。
 時代錯誤も甚だしい作戦であった、と申すほか ありません。

勿論、後日の B29での攻撃は、この地にも行なわれ、載せた写真のようにその後は廃墟に化してしまったようで〜。

 地上戦を目指す日本軍の作戦は 大砲と機関銃が頼り、つまり それは 2次元作戦だったと云えば、専ら空からの攻撃から始めよとした米軍の3次元作戦とは大きく違って 、結果的には当然ながら、その効果も全く違ってしまったのでしょうね。

次元が違ってしまったら、当然ながら、その効果もホント全く違っても どうにもならなかったでしょう。敗北せざるを得ない作戦であるとの認識は最初から抜けていたのでしょう。

仮に、戦艦「大和」「武藏」を作り上げる軍事予算を 飛行機 の方にまわしたら、戦局は かなり違ったかも知れませんね。

因に、戦艦「大和」「武藏」は、その後、「ピラミッド」「万里の長城」と一緒に、なんと「世界の三大バカ」と称されました〜(涙!!)。

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