2013年6月28日金曜日

ガダルカナル作戦〜


当時やっていた新聞切り抜き-----からですが、
この記事について私が書いてあるコメントが以下〜。
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大平洋戦争の中で、ガダルカナル作戦は最も悲惨な戦闘だったと云われているようです。
昭和17年の秋頃より約半年間の激戦のあと昭和18年2月に日本軍はガダルカナルより“ 転進 ”して、この地域での作戦は終了したのですが、ほぼ全滅した部隊の中には山形の部隊が入っていたのかどうか、級友の父兄での戦死者がかなり多かったような気がしましたね。
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ガダルカナルを占領した米軍は、その後、飛び石伝いにサイパン、そしてフイリピン、硫黄島、沖縄、へと進んで行ったので、日本軍の南方司令部のあったガダルカナルのラバウルは完全に置き去りにされてしまい、状況は上記の記事のように、スッポカされたまま、終戦を迎えることになってしまいました。バカみたいなハナシですよね。

 いつだったか、ラバウル展示会(?)が開かれて見に行った事があったが、地獄の様相を示すような、凄まじい遺品の中に、なんと、立派な蝶の標本集があったのに驚いた事があった。明日をも知れぬ生死の境の中で、どうして、そんな蝶の標本を何箱も作れたのか、不思議な気持ち襲われたものであった。
事実、その作者は死んだ、と書かれてあった。” -------

それにしても、あの標本の凄さ、-------妖しい光りを放つ南方産の、大型のアゲハの輝きは今でも目について離れないでいますよ。

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