2014年4月29日火曜日

戦艦「大和」


私が描いた「戦艦大和」-------多少ならず トップヘビーになってしまいましたなア〜。
※( 右端のライターは画面の大きさとの比較のためのもの。)


 
戦艦「大和」
大和が着工されたのが昭和12年、一方 原爆は昭和17年(1942年)だったと聞きます。
 B-29の開発スタートは確か昭和14年と聞きましたが、ゼロ戦は文字通り紀元2600年(昭和15年)を記念しての名称です。これは多分完成しての命名でしょうね。

 ・・・・・いずれにしても、大体 同じような時期に争って開発にシノギを削った結果 出来上がった自慢の兵器だった、と云う事でしょう。

 但し、重ねて申し上げますが、双方の開発した武器には その威力に於て決定的な差があった-----結局は これだったでしょうなあ~~。
所詮はアナログの世界・・・・巨大で複雑であれば あるほど 設計では 迷路に落ち込んだと思われるのですが?・・・・。

 戦艦 大和 は蜂の巣のごとく武装されている・・・・とは、よく耳にします。上の写真をご覧なさいな。このへんが蜂の巣のように見える箇所でしょうか。
 素人目には、なにやら規則性に欠ける雑な設計のように思えますが、それはそれで設計者の言い分もあるのでしょう。特に、この戦艦は、途中で何度かの追加設計で改造が加えられた筈なので、余計に そう見えるような仕上がりに せざるを得なかった事情もあったと思います。

 然し、いずれにしても、これでは屋上屋を重ねるような感じがしますね。スマートで機能的な感じは受けません。素人なりの感覚でそう思えるのですから、例えば、各種目標設定マニアル・・・人員の数と能力、加えて、各種の手順・・・・弾丸の配送、兵員の動き、交代、 補充、更にそれらから、ラッキョウの処理・・・オイル交換 負傷者の仮手当て、非常事態発生の時・・・etc。それらが、仮に、すべてメカニックに自動的に指示するようになっていたとしたら、どれだけ複雑に配線をセットしても、機能に過不足は生じないどころかネックの多発で、満足な機能発揮は得られなかったのではないかと考えてしまいます。
なにせ当時はICの時代ではありませんから・・・・謄写版で刷った??マニアルに載っているのは、手動による操作手順、それの下敷きになっているのは、すべて歯車と梃子 の組み合わせ、加えて、人間による締め加減、当たり加減、とかとか ---- その組み合わせから出来た手引書、と、そんな時代、当然、余計な 心配 ・懸念 を感じてしまいますね。電子器機と云えば これまた真空管時代、複雑に絡む配線など到底出来る時代ではありませんでした。

 そう云えば 当時の潜水艦には “ 伝声管 ” なる人間の声を通すパイプが張り巡らされてありましたよ。そのスタイルで、この戦艦にも 到るところで重要な箇所には張り巡らされていたのかも??....そんな事も浮かんで来る次第でした。

 ただ、巷間云われる事に「馬鹿な息子ほどかわいい」でしょうか?。戦艦大和は飽きず懲りず、これからも永遠に?バカ息子の使命を果たすべく儚い世俗の世界に君臨し続けて行く事でしょう。
 -------- かく申す、この私などの「バカ息子崇拝者」を筆頭にして・・・。

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